« 荒魂な大長谷王 市辺之忍齒王殺害 541 | トップページ | 大長谷若建命と若日下王 543 »

2015年11月15日 (日)

市辺之忍歯王 淡海(近江)で没す 542

大長谷王(後の雄略帝)は従兄弟の市辺之忍歯王
(いちのべのおしはのみこ)を誘い、「猪鹿」がたくさんいる
「淡海(近江)之 久多綿〈くたわた〉之 蚊屋野〈かやの〉」へ
狩りに出かけます。
お二人は何故か互いに別々の寝所を設営。
翌早朝、「未日出之時(朝日が上がる前)」市辺之忍歯王は
いち早く狩り場へ行こうと大長谷王の寝所を尋ねます。
市辺之忍齒王は馬上から大長谷王のお供に
「未寝坐 早可白也 夜既曙訖可幸猟庭」      
(「『まだ寝てらっしゃるの もう夜が明けちゃってるので早く狩り場へ
  行きましょうよ』とおっしゃって」)と申しつけ
ご自分は先に「猟庭」へ行かれたんです。
すると伝言を聞いたお供の方は大長谷王に
何故か「宇多弖物云王子 故応慎」
(転〈うた〉て物云う王子ですのでお気を付け下さい)
 転〈うた〉て=気掛かりな
と進言するのです。
更に、「お召し物の中に『甲(鎧)』を着けてお出かけ下さい」と。
市辺之忍歯王の物云に問題があるのかしら
私には、別段感じ取ることができません。
むしろ、
未だお休みになっている大長谷王への気遣いを感じられますが?
何故か、大長谷王はお供の進言に耳を傾ける始末。
大長谷王は武装して先発の市辺之忍歯王を追いかけます。
彼は「猟庭」に着くや否や、市辺之忍歯王の側に進み、
矢を放ち市辺之忍歯王を殺害してしますのです。
これって(狩りの誘い)大長谷王による
単なる市辺之忍歯王の抹殺計画実行だったのでは?
ここからお話が急展開、何処から・誰からお聞きになったのかは不明。
市辺之忍歯王のご子息、
意富祁王(おほけのみこ)〈後の仁賢帝〉
袁祁王(をけのみこ)〈後の顕宗帝〉のお二人は畏れを抱き逃亡。
逃避途中「山代(=山城国)」の「苅羽井」で腹拵えしている時、
顔に刺青をしたお爺さんに「粮(=乾飯)」を奪われる事態に。
お二人は「乾飯は惜しくはないが、貴男はいったい誰?」と尋ねた所、
お爺さんは「私は『山代之猪甘(ゐかい=猪飼)』」と。
この後、猪飼とのやり取りは描写されていません。
更に、お二人は逃避行。
「玖須婆(くすば)之河」を渡り、
「針間國(はりまのくに=播磨国)」に到着。
そして、播磨国の「志自牟(しじむ)之家」に身を隠し、
「馬甘(馬飼)牛甘(牛飼)」をして過ごされていたとか。
この、「猪飼・馬飼・牛飼」の三連発表現の意味するところは
かの時代?畜産業もあったんですよ!って事?  続く。

|

« 荒魂な大長谷王 市辺之忍齒王殺害 541 | トップページ | 大長谷若建命と若日下王 543 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 荒魂な大長谷王 市辺之忍齒王殺害 541 | トップページ | 大長谷若建命と若日下王 543 »