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2015年10月25日 (日)

大長谷王 都夫良意富美邸襲撃 539

兄、安康帝が目弱王により殺害さるの情報を得た
未だ幼い大長谷王子(後の雄略帝)は憤慨し?都夫良意富美邸へ襲撃
におよぶ古事記原文です。

爾大長谷王子(雄略帝)
當時童男
即聞此事以
慷愾忿怒
乃到其兄黒日子王之許曰
人取天皇
爲那何
然其黒日子王
不驚而
有怠緩之心
於是大長谷王詈其兄
言一爲天皇
一爲兄弟
何無侍心
聞殺其兄
不驚而怠乎
即握其衿控出
拔刀打殺
亦到其兄白日子王而
告状如前
緩亦如黒日子王
即握其衿以
引率來
到小治田
掘穴而
隨立埋者
至埋腰時
両目走拔而死
亦興軍
圍都夫良意富美之家
爾興軍待戰
射出之矢如葦來散
於是大長谷王
以矛爲杖
臨其内詔
我所相言之孃子者
若有此家乎
爾都夫良意富美聞此詔命
自參出
解所佩兵而
八度拜
白者
先日所問賜之女子訶良比賣者

亦副五處之屯宅以獻
(所謂五村屯宅者 今葛城之五村苑人也)
然其正身所以不
參向者
自往古至今時
聞臣連隱於王宮
未聞王子隱於臣之家
是以思
賤奴意富美者
雖竭力戰
更無可勝
然侍己
入坐于
隨家之王子者
死而不棄
如此白而
亦取其兵
還入以戰
爾力窮
矢盡
白其王子
僕者手悉傷
矢亦盡
今不得戰
如何
其王子
答詔
然者更無可爲
今殺吾
故以刀刺殺其王子
乃切己頸以死也

読み解きは来週に。  続く。

web上では
国立国会図書館 電子図書館蔵書古事記中下巻P99の8行目で
確認可能ですので是非ご覧下さい。

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2015年10月18日 (日)

幼子目弱王 安康帝を斬首 538

不可解な人間模様をひとまず触らないで進んじゃお!
安康帝と長田大郎女のお二人は
「神牀(=神殿)」で仲睦まじく横になっておられた。
そ汝有所思乎の際、安康帝は長田大郎女に
「汝有所思乎」(最近、何か思う所〈心配事〉があるか)と
彼女は
「被天皇之敦澤」(貴男は沢山慈しみ下さってますので何も)とお答え。
ここで突如、長田大郎女と安康帝に殺害された前夫、大日下王の
お子さん、「目弱王(まよわおう)」の話が挿入されます。
目弱王はこの年、既に7歳になっていた事。
更にその目弱王が神殿の庭で遊んでおられた事。
そして、目弱王の存在(庭でのお遊び)を知らず
安康帝は長田大郎女に話しかけます。
「私にはずぅーっと心配事がある。
 それは貴女の子、目弱王が大きくなって自分の父親が
 私に殺害された事を知った際、私を憎むのではないか」と。
安康帝は大胆なのか、思慮浅いのか長田大郎女に囁くのではなく
常の心配事から大声でお話された様子。
これを、たまたま目弱王が神殿の庭でお聞きになったしまった設定。
数え7歳(6歳)の目弱王は子供ながら十二分に理解したのでしょう?
古事記の描写では
幼子目弱王は安康帝が「昼寝」をするの伺い待ち、神殿に上がり
安康帝の傍らに置いてあった「大刀」を取り上げ安康帝を斬首したと。
実母の長田大郎女はお近くで添い寝されてなかったのかしら
ひょっとしたら、彼女自身、言葉とは全く裏腹で
云われなく殺害された大日下王を慕い、殺害幇助されたかも?
但し、深層は闇の中。
その後、安康帝を殺めた目弱王は
「都夫良意富美(つぶらおほみ)」邸に逃走。
都夫良意富美は葛城円(かつらぎのつぶら)とか。 続く。

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2015年10月11日 (日)

安康帝 不可解な人間模様 537

とても違和を覚える描写ですのでひとまず

<人間模様(関係)整理>

仁徳帝石之姫のお子さん
 履中帝
 墨江之中津王
 反正帝
 允恭帝

仁徳帝髮長姫のお子さん
 大日下王
 若日下部命

 允恭帝忍坂大中津姫のお子さん
  木梨之軽王
    長田大郎女
    境之黒日子王
    安康帝
    衣通郎女
  八瓜之白日子王
  雄略帝
  橘大郎女
  酒見郎女

大日下王と長田大郎女が夫婦(叔父=
安康帝は弟の雄略帝若日下部命(甥=叔母)との結婚を画策。
お節介と思われますが何かの事情があったのかしら
安康帝は若日下部命の兄、大日下王の意向を確認の為
「坂本臣等之祖根臣」を使者として送ります。
允恭帝の申し出を察していたのか?大日下王は快く承諾。
その証として「押木之玉縵(おしきのたまかづら)(=宝冠)」を献上。
しかし、根臣はその宝冠(ティアラ)を「盜取」、大日下王を陥れる為
安康帝へ「讒」言(ざんげん)します。
「大日下王は『勅命』をお受けせず、
 『己妹乎 爲等族之下席而』
 と仰せになりに『横刀』の柄に手をかけ激怒されました」と。
「己妹乎 爲等族之下席而」
私の妹を同族者に「下席(したむしろ)」(寝所で組伏す)にさせない。
これをお聞きになった安康帝は「大怒」。
大日下王を殺害し、彼の奥様、長田大郎女を「取持来」て
ご自分の「嫡妻(むかいめ)(=奥様)」にしてしまうのです。
安康帝長田大郎女は姉弟関係。
これって、木梨之軽王衣通郎女の兄妹相姦は許されず、
姉弟相姦は許されるって事???
とても不可解、奇想天外、摩訶不思議な世界。  続く。

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2015年10月 4日 (日)

穴穗御子(安康帝)の権力闘争御代 536

男浅津間若子命(允恭帝)の長男、木梨之軽王が妹との愛を貫き
他界した後に3男、穴穗御子(安康帝)が帝位をお継ぎになります。
そこでの人間模様が展開する古事記原文です。

穴穗御子(安康帝
坐石上之穴穗宮
治天下也
天皇
爲伊呂弟大長谷王子(後の雄略帝)而
坂本臣等之祖根臣遣大日下王之許
令詔者
汝命之妹若日下王
欲婚大長谷王子
故可貢
爾大日下王
四拜白之
若疑有如此大命故
不出外以置也
是恐
隨大命奉進
然言以白事
其思无禮
即爲其妹之禮物
令持押木之玉縵而
貢獻
根臣
即盜取其禮物之玉縵
讒大日下王曰
大日下王者
不受勅命曰
己妹乎
爲等族之下席而
取横刀之手上而怒歟
故天皇大怒
殺大日下王而
取持來其王之嫡妻長田大郎女
爲皇后
自此以後
天皇坐神牀而
晝寢
爾語其后曰
汝有所思乎
答曰被天皇之敦澤
何有所思於是其大后之先子目弱王
是年七歳
是王
當于其時而
遊其殿下
爾天皇不知其少王遊殿下以
詔大后言
吾恒有所思
何者
汝之子目弱王
成人之時
知吾殺其父王者
還爲有邪心乎
於是所遊其殿下目弱王聞取此言
便竊伺天皇之御寢
取其傍大刀
乃打斬其天皇之頸
逃入都夫良意富美之家也
天皇御年伍拾陸歳
御陵在菅原之伏見岡也

読み解きは来週に。  続く。

web上では
国立国会図書館 電子図書館蔵書古事記中下巻P97の16行目で
確認可能ですので是非ご覧下さい。

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