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2015年10月18日 (日)

幼子目弱王 安康帝を斬首 538

不可解な人間模様をひとまず触らないで進んじゃお!
安康帝と長田大郎女のお二人は
「神牀(=神殿)」で仲睦まじく横になっておられた。
そ汝有所思乎の際、安康帝は長田大郎女に
「汝有所思乎」(最近、何か思う所〈心配事〉があるか)と
彼女は
「被天皇之敦澤」(貴男は沢山慈しみ下さってますので何も)とお答え。
ここで突如、長田大郎女と安康帝に殺害された前夫、大日下王の
お子さん、「目弱王(まよわおう)」の話が挿入されます。
目弱王はこの年、既に7歳になっていた事。
更にその目弱王が神殿の庭で遊んでおられた事。
そして、目弱王の存在(庭でのお遊び)を知らず
安康帝は長田大郎女に話しかけます。
「私にはずぅーっと心配事がある。
 それは貴女の子、目弱王が大きくなって自分の父親が
 私に殺害された事を知った際、私を憎むのではないか」と。
安康帝は大胆なのか、思慮浅いのか長田大郎女に囁くのではなく
常の心配事から大声でお話された様子。
これを、たまたま目弱王が神殿の庭でお聞きになったしまった設定。
数え7歳(6歳)の目弱王は子供ながら十二分に理解したのでしょう?
古事記の描写では
幼子目弱王は安康帝が「昼寝」をするの伺い待ち、神殿に上がり
安康帝の傍らに置いてあった「大刀」を取り上げ安康帝を斬首したと。
実母の長田大郎女はお近くで添い寝されてなかったのかしら
ひょっとしたら、彼女自身、言葉とは全く裏腹で
云われなく殺害された大日下王を慕い、殺害幇助されたかも?
但し、深層は闇の中。
その後、安康帝を殺めた目弱王は
「都夫良意富美(つぶらおほみ)」邸に逃走。
都夫良意富美は葛城円(かつらぎのつぶら)とか。 続く。

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