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2015年9月27日 (日)

軽王・衣通郎女 永久(とわ)の愛 535

軽大郎女=衣通郎女(才色兼備=大胆不敵=天真爛漫)=大和撫子
が軽王の目の前に現われ出でたる時、
軽王は愛しく・懐かしく思われ二歌。

許母理久能(こもりくの)
波都世能夜麻能(はつせ〈泊瀬〉のやま〈山〉の)
意冨袁爾波(おほを〈大丘〉には)
波多波理陀弖(はた〈幡〉はり〈張〉だ〈立〉て)
佐袁袁爾波(さをを〈小丘〉には)
波多波理陀弖(幡張り立〉て)
意冨袁爾斯(大丘にし)
那加佐陀賣流(なか〈仲〉さだ〈定〉める)
淤母比豆麻阿波禮(おも〈思〉ひづま〈妻〉あはれ)
都久由美能(つくゆみ〈槻弓〉の)
許夜流許夜理母(こ〈臥〉やる臥やりも)
阿豆佐由美(あづさゆみ〈梓弓〉)
多弖理多弖理母(た〈起〉てり起てりも)
能知母登理美流(のち〈後〉もと〈取〉りみ〈見〉る)
意母比豆麻阿波禮(思ひ妻あはれ)

許母理久能(こもりくの)
波都勢能賀波能(泊瀬のかわ〈河〉の)
賀美都勢爾(かみ〈上〉つせ〈瀬〉に)
伊久比袁宇知(いくひ〈斎杖〉をう〈打〉ち)
斯毛都勢爾(しも〈下〉つ瀬に)
麻久比袁宇知(あくひ〈真杖〉を打ち)
伊久比爾波(斎杖には)
加賀美袁加氣(かがみ〈鏡〉をか〈懸〉け)
麻多比爾波(真杖には)
麻久麻袁加氣(まくま〈真玉〉を懸け)
麻多麻那須(真玉なす)
阿賀母布伊毛(あ〈吾〉がも〈思〉ふいも〈妹〉)
加賀美那須(鏡なす)
阿賀母布都麻(吾が思ふ妻)
阿理登(ありと)
伊波婆許曾爾(い〈言〉はばこそよ)
伊幣爾母由加米(いへ〈家〉にも行かめ)
久爾袁母斯怒波米(くに〈国〉をもしの〈偲〉はめ)

この二歌の隠喩はとても意味深ですので梅原猛さんの訳で。
「泊瀬の山の、大きな丘の上には幡を立て、小さな丘にも幡を立て、
 大きな丘と小さな丘が並んでいる。そのように仲の良い、
 わが愛する妻よ。ああ、
 槻弓のように寝ているときも、
 梓弓のように立っているときも、
 優しく愛撫したおまえを、
 末長くいたわっていきたいと思うのであるが。
 ああ、可哀想なことだ」
「泊瀬の川の
 上流には、神聖な杭を打ち、
 下流には、立派な杭を打ち、
 神聖な杭には鏡を懸け、
 立派な杭には美しい玉を懸け、
 その美しい玉のようにわたしが大切に思う妹よ、
 その鏡ようにわたしが愛しむ妻よ、
 おまえが生きているいうのなら、おまえの家にも尋ねて行き、
 故郷をしのぶこともあろうけれど」
この後、お二人は誰にも邪魔されない空間に旅立つのです。 続く。

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2015年9月20日 (日)

蠣貝に足踏ますな明して通れ 534

軽王のメッセージに対する衣通郎女は返信の歌。

那都久佐能(なつくさ〈夏草〉の)
阿比泥能波麻能(あひねのはま〈浜〉の)
加岐賀比爾(かきがひ〈蠣貝〉に)
阿斯布麻須那(あし〈足〉ふ〈踏〉ますな)
阿加斯弖杼冨禮(あか〈明〉してとふ〈通〉れ)

思わず顔を赤らめてしまう程素敵な忠告では・・・・・。
才艶女=衣通郎女にこの様に云われたら殿方はもうメロメロ?
気を取り直して、
どの位の時間の経過があったのか?
十中八九、即と思われますが・・・・・。
衣通郎女は居ても立っても居られず、
伊予温泉の軽王の元へ馳せ参じる事に。 その節の歌。

岐美賀由岐(きみ〈君〉がゆ〈行〉き)
氣那賀久那理奴(けながくなりぬ)
夜麻多豆能(やまたづの)
牟加閇袁由加牟(むか〈迎〉へをゆ〈行〉かむ)
麻都爾波揺多士(ま〈待〉つには待たじ)

「麻都爾波揺多士(待つしは待たし)」
『貴男のお帰りなんぞ待っていられないは
 私が貴男のところにいっちゃうから!!!』
衣通郎女=才艶女の積極果敢なアクションには恐れ入っちゃいます。
これぞ大和撫子の本領って感じ。
ここまで愛された軽王はとても幸せもんじゃー・・・・・。
「才色兼備」・「大胆不敵」・「天真爛漫」は大和撫子3条件。
これを地で行く衣通郎女。
日本女性の鏡では・・・・・。  続く。

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2015年9月13日 (日)

軽王 伊予温泉へ流刑 533

囚われの身のイケメン・優男、軽王へのお仕置きは「流於伊余湯也」。
ここで皆様へ問題です。
「軽王(イケメン)・軽大郎女(才艶女)との兄妹相姦(愛の育み)」は
「刑(罪)」になるのでしょうか?
兄妹相姦は一体何の罪なのでしょうか?
近親相姦(相愛)の内「母子(息子)相姦(相愛)」は
キリスト教では禁じられています。
生物学的に近親相姦(相愛)は遺伝上不都合と規定されています。
しかしながら、人のご先祖様「アフリカの母」は当然、近親相姦(相愛)
で「種の保存」をされました。
又、古代エジプト王、古代ペルシャ王、古代ローマ帝国、フランク王、
等々数えれば数えきれない程例が上げられます。
生物学的遺伝上不都合論理は明確に否定されます。
何処かの世、何処かの地の何方様かの権力者が兄妹相姦を「罪」と
されたのでしょう?
従って、古事記はこれを継承している事に。
この件は深く掘り下げないといけない問題ですので
一先ず先に進みますよ。
伊予温泉へ流刑の処罰を負わされた軽王
旅立ちに先立ち、衣通郎女への二歌(メッセージ)。

阿麻登夫(天と〈飛〉ぶ)
登理母都加比曾(とり〈鳥〉もつか〈使〉ひそ)
多豆賀泥能(たづ〈鶴〉がね〈音〉の)
岐許延牟登岐波(きこ〈聞〉えむとき〈時〉は)
和賀那斗波佐泥(わがな〈吾が名〉と〈問〉はさね)

意冨岐美袁(おほきみ〈大君〉を)
斯麻爾波夫良婆(しま〈島〉にはぶらば)
布那阿麻理(ふな〈舟〉あま〈余〉り)
伊賀幣理許牟敍(いがへ〈帰〉りこ〈来〉むぞ)
和賀多多彌由米(わ〈吾〉がたたみ〈畳〉ゆめ)
許登袁許曾(こと〈言〉をこそ)
多多美登伊波米(畳とい〈言〉はめ)
和賀都麻波由米(吾がつま〈妻〉はゆめ)

私の愛する軽大郎女=衣通郎女へ
「僕の安否は空飛ぶ鶴に聞いておくれ」
「又、すぐ帰るつもりだから決して心変わりしないでネ」  続く。

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2015年9月 6日 (日)

大前小前宿禰の粋な計らい 532

大前小前宿禰は軽王を助けるべく穴穗御子に
「穴穗御子様、
決して貴男の兄、木梨之軽王に兵をお出しにならないで下さい。
もし兵をお出しになれば、貴男は世間の笑いものになりますぞ。
軽王は私が捕らえて貴男へ差し出しますから。」と申し開きます。
穴穗御子はこの進言を受け入れ兵を引きます。
これを見届けた大前小前宿禰は匿(かくま)っていた軽王を
穴穗御子へ差し出します。
大前小前宿禰は
この戦いの結果は火を見るよりも明らかと判断したのでしょう。
圧倒的人数の穴穗御子軍と武器の差から、
せめても軽王の命だけでもと・・・・・。
お二人の武器
木梨之軽王 軽箭(矢)  「銅其箭之内」
穴穗御子  穴穗箭(矢) 「今時之矢」 
軽王の矢先は一昔前の銅製で穴穗御子は最新の矢との事。
観念した軽王はここで名残の二歌。

阿麻陀牟(あま〈天〉だむ)
加流乃袁登賣(かるのをとめ〈軽之乙女〉)
伊多那加婆(いたな〈泣〉かば)
比登斯理奴倍志(ひと〈人〉し〈知〉りむべし)
波佐能夜麻能(はさ〈波佐〉のやま〈山〉の)
波斗能(はと〈鳩〉の)
斯多那岐爾那久(した〈下〉泣きに泣く)

阿麻陀牟(天だむ)
加流袁登賣(軽乙女)
志多多爾母(したたにも)
余理泥弖登冨禮(よ〈寄〉りね〈寝〉てとほ〈通〉れ)
加流袁登賣杼母(軽乙女ども)

軽乙女=衣通郎女に
「大泣きしちゃいやよー、忍び泣きでお願い」って云っても無理なお話。
お二人の深ーい愛は既に世間様は皆さんご存知なのですよっと。
次のメッセージは
「したたにも」は秘かに忍んで。
これも世間様のジェラシー存在で必ず二人の愛は発覚するもの。
  続く。

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