« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »

2015年8月30日 (日)

百官及天下人等の軽王への嫉妬 531

軽王が絶世の妖艶美女、衣通郎女=軽大郎女に現(うつつ)を抜かし
過ぎたのか、周りの取り巻き(「百官及天下人等」)に妬み嫉みが生じ
る状況に陥ります。
当然、軽王も衣通郎女のお兄さんですからイケメン・優男(やさおとこ)
に違いありません。
「百官及天下人等」らはご自分達にはでき得ない事に
嫉妬、逆恨み、軽王の帝位剥奪、
三男坊の穴穗御子(=穴穗命〈後の安康帝〉)へ帝位移行を謀ります。
(次男坊の境之黒日子王は既にお亡くなりになっていたのかしらん?)
穴穗御子は好機到来と考え軽王の抹殺を企て軍を編成します。
軽王はこの事態に畏れおののき、
「意冨麻幣袁麻幣須久泥(大前小前宿禰)」の館に逃避します。
その情報を知り得た
穴穗御子軍は一気呵成に大前小前宿禰の館を取り囲みます。
しかし、天は軽王に味方、
風雲急を告げ「零大氷雨(雹を伴うゲリラ豪雨)」に
穴穗御子達は見舞われたのです。
そこで、穴穗御子は一歌。

意冨麻幣(おほまへ〈大前〉)
袁麻幣須久泥賀(をまへすくね〈小前宿禰〉が)
加那斗加宜(かなと〈金門〉かげ〈陰〉)
加久余理許泥(かくよ〈寄〉りこ〈来〉ね)
阿米多知夜米牟(あめ〈雨〉た〈立〉ちや〈止〉めむ)

穴穗御子軍は門前で雨宿りを余儀なくされたのでした。
この状況を察した大前小前宿禰は剽軽(ひょうきん)にも
「挙手折膝 舞訶那傳(舞奏〈かな〉で) 歌参来」。
まるで大前小前宿禰は今は亡きマイクル(舞来る)・ジャクソン感じ?
そして、マイクル(舞来る)は一歌。

美夜比登能(みやひと〈宮人〉の)
阿由比能古須受(あゆひ〈足結〉のこすず〈小鈴〉)
淤知爾岐登(お〈落〉ちにきと)
美夜比登登余牟(宮人とよむ)
佐斗毘登母由米(さとびと〈里人〉もゆめ)

宮人はシティーボーイ(city boy)で里人はカントリーボーイ(country boy)
都の出来事は田舎者にはチンプンカンプンですわよ。  続く。

| | コメント (0)

2015年8月23日 (日)

軽王と軽大郎女(=衣通郎女)の恋愛 530

允恭帝が崩御された後、
次の帝は允恭帝の長男、木梨之軽王(きなしのかるのおう)とされて
いましたが、彼は帝位にお就(つ)きになりませんでした。
彼は「帝位(権威・権力)」よりも「愛情」を選択しました。
その「愛」を捧(ささ)げ注ぐお相手は実妹、
軽大郎女(かるのおおいらつめ)=衣通郎女(そとおしのいらつめ)。
木梨之軽王は彼女への思いを歌で伝えます。

阿志比紀能(あしひきの)
夜麻陀袁豆久理(やまだ〈山田〉をつくり)
夜麻陀加美(やまだか〈山高〉み)
斯多備袁和志勢(したびをわしせ)
志多杼比爾(したどひに)
和賀登布伊毛袁(わ〈吾〉がとふいも〈妹〉を)
斯多那岐爾(したなきに)
和賀那久都麻袁(吾がな〈泣〉くつま〈妻〉を)
許存許曾婆(こぞこそは)
夜須久波陀布禮(やすくはだ〈肌〉ふ〈触〉れ)

佐佐婆爾(ささは〈笹葉〉に)
宇都夜阿良禮能(う〈打〉つやあられ〈霰〉の)
多志陀志爾(たしだしに)
韋泥弖牟能知波(ゐね<率寝>てむのち〈後〉は)
比登波加由登母(ひと〈人〉はかゆとも)
宇流波斯登(うるは〈麗=美=愛〉しと)
佐泥斯佐泥弖婆(さね〈寝〉しさ寝てば)
加理許母能(かりこも〈刈薦=ベッドシーツ〉の)
美陀禮婆美陀禮(みだ〈乱〉れば乱れ)
佐泥斯佐泥弖婆(さ寝しさ寝てば)

素敵な男性からこの様にダイレクトな表現をされたら
女性はもう「メロメロ」・・・・・。 続く。

| | コメント (0)

2015年8月 2日 (日)

兄妹相姦 軽王・軽大郎女 529

「木梨之軽太子」と「軽大郎女=衣通郎女」との
禁断?のラブロマンスが展開される古事記原文です。
やや長めですが一気に。

天皇崩之後
定木梨之輕太子
所知日繼
未即位之間
姦其伊呂妹輕大郎女而
歌曰
阿志比紀能
夜麻陀袁豆久理
夜麻陀加美
斯多備袁和志勢
志多杼比爾
和賀登布伊毛袁
斯多那岐爾
和賀那久都麻袁
許存許曾婆
夜須久波陀布禮
此者志良宜歌也
又歌曰
佐佐婆爾
宇都夜阿良禮能
多志陀志爾
韋泥弖牟能知波
比登波加由登母
宇流波斯登
佐泥斯佐泥弖婆
加理許母能
美陀禮婆美陀禮
佐泥斯佐泥弖婆
此者夷振之上歌也
是以百官及
天下人等
背輕太子而
歸穴穗御子(安康帝)
爾輕太子畏而
逃入大前小前宿禰大臣之家而
備作兵器
(爾時所作矢者 銅其箭之内 故号其矢謂輕箭也)
穴穗王子亦作兵器
(此王子所作之矢者 即今時之矢者也 是謂穴穗箭也)
於是穴穗御子興軍
圍大前小前宿禰之家
爾到其門時
零大氷雨
故歌曰
意冨麻幣
袁麻幣須久泥賀
加那斗加宜
加久余理許泥
阿米多知夜米牟
爾其大前小前宿禰擧手折膝
儛訶那傳(自訶下三字以音)
歌參來
其歌曰
美夜比登能
阿由比能古須受
淤知爾岐登
美夜比登登余牟
佐斗毘登母由米
此歌者
宮人振也
如此歌参歸
白之
我天皇之御子
於伊呂兄王無及兵
若及兵者
必人咲
僕捕以貢進
爾解兵退坐
故大前小前宿禰
捕其輕太子
率參出以貢進
其太子
被捕歌曰
阿麻陀牟
加流乃袁登賣
伊多那加婆
比登斯理奴倍志
波佐能夜麻能
波斗能
斯多那岐爾那久
又歌曰
阿麻陀牟
加流袁登賣
志多多爾母
余理泥弖登冨禮
加流袁登賣杼母
故其輕太子者
流於伊余湯也
亦將流之時
歌曰
阿麻登夫
登理母都加比曾
多豆賀泥能
岐許延牟登岐波
和賀那斗波佐泥
此三歌者
天田振也
又歌曰
意冨岐美袁
斯麻爾波夫良婆
布那阿麻理
伊賀幣理許牟敍
和賀多多彌由米
許登袁許曾
多多美登伊波米
和賀都麻波由米
此歌者
夷振之片下也
其衣通王
獻歌
其歌曰
那都久佐能
阿比泥能波麻能
加岐賀比爾
阿斯布麻須那
阿加斯弖杼冨禮
故後亦不堪戀慕而
追往時
歌曰
岐美賀由岐
氣那賀久那理奴
夜麻多豆能
牟加閇袁由加牟
麻都爾波揺多士

(此云山多豆者 是今造木者也)
故追到之時
待懷而
歌曰
許母理久能
波都世能夜麻能
意冨袁爾波
波多波理陀弖
佐袁袁爾波
波多波理陀弖
意冨袁爾斯
那加佐陀賣流
淤母比豆麻阿波禮
都久由美能
許夜流許夜理母
阿豆佐由美
多弖理多弖理母
能知母登理美流
意母比豆麻阿波禮
又歌曰
許母理久能
波都勢能賀波能
賀美都勢爾
伊久比袁宇知
斯毛都勢爾
麻久比袁宇知
伊久比爾波
加賀美袁加氣
麻多比爾波
麻久麻袁加氣
麻多麻那須
阿賀母布伊毛
加賀美那須
阿賀母布都麻
阿理登
伊波婆許曾爾
伊幣爾母由加米
久爾袁母斯怒波米
如此歌
即共自死
故此二歌者
讀歌也

たいへんお疲れ様でした。
ところで、わたくしども ZIPANGU も
猛暑回避のため夏休みを頂くことに致します。
次回は8月23日に。 続く。

web上では
国立国会図書館 電子図書館蔵書古事記中下巻P94の1行目で
確認可能ですので是非ご覧下さい。

| | コメント (0)

« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »