軽王と軽大郎女(=衣通郎女)の恋愛 530
允恭帝が崩御された後、
次の帝は允恭帝の長男、木梨之軽王(きなしのかるのおう)とされて
いましたが、彼は帝位にお就(つ)きになりませんでした。
彼は「帝位(権威・権力)」よりも「愛情」を選択しました。
その「愛」を捧(ささ)げ注ぐお相手は実妹、
軽大郎女(かるのおおいらつめ)=衣通郎女(そとおしのいらつめ)。
木梨之軽王は彼女への思いを歌で伝えます。
阿志比紀能(あしひきの)
夜麻陀袁豆久理(やまだ〈山田〉をつくり)
夜麻陀加美(やまだか〈山高〉み)
斯多備袁和志勢(したびをわしせ)
志多杼比爾(したどひに)
和賀登布伊毛袁(わ〈吾〉がとふいも〈妹〉を)
斯多那岐爾(したなきに)
和賀那久都麻袁(吾がな〈泣〉くつま〈妻〉を)
許存許曾婆(こぞこそは)
夜須久波陀布禮(やすくはだ〈肌〉ふ〈触〉れ)
佐佐婆爾(ささは〈笹葉〉に)
宇都夜阿良禮能(う〈打〉つやあられ〈霰〉の)
多志陀志爾(たしだしに)
韋泥弖牟能知波(ゐね<率寝>てむのち〈後〉は)
比登波加由登母(ひと〈人〉はかゆとも)
宇流波斯登(うるは〈麗=美=愛〉しと)
佐泥斯佐泥弖婆(さね〈寝〉しさ寝てば)
加理許母能(かりこも〈刈薦=ベッドシーツ〉の)
美陀禮婆美陀禮(みだ〈乱〉れば乱れ)
佐泥斯佐泥弖婆(さ寝しさ寝てば)
素敵な男性からこの様にダイレクトな表現をされたら
女性はもう「メロメロ」・・・・・。 続く。
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