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2015年7月 5日 (日)

飛鳥の由来と履中帝御代 525

大坂山の辺でにわか仕立ての仮宮で曾婆訶理を斬首した
水歯別命(後の反正帝)は「明日上幸(翌日倭に向かわれた)」。
「故号其地謂近飛鳥也(故にその地を 『〈近〉飛鳥』と云う)」とか。
水歯別命(後の反正帝)は倭国に入ります。
しかしながら、すぐに、履中帝の住まう石上神宮へは向かわず
この地でお祓いを済ませ一泊し、明日、石上神宮へ赴く事に。
そして、
「故号其地謂遠飛鳥也(故にその地を 『〈遠〉飛鳥』と云う)」とか。
翌日、石上神宮に参内し履中帝に奏上。
「政既平訖 參上侍之」
この僅か八文字で
「履中帝の命に従い、墨江中王を殺害し終わり
 履中帝の政が平穏になると参上仕りました」と
表現していることになります。
これにより、漸く、
水歯別命(後の反正帝)は履中帝に謁見でき言葉を交わせたのです。
この後、「始任蔵官 亦給粮地」
大恩の阿知直を「蔵」官吏にし、又、彼に「粮地(耕作地)」を提供。
履中帝の御代に
住まいの伊波礼之若桜宮に因み、
若桜宮に仕える臣下に「若桜部」を与え、
比賣陀君らへは「比賣陀之君」と云う「姓」を与え
「伊波礼部」も定めたとの事。
ここに登場する「比賣陀之君」は以前と言うよりもかなり昔に登場。
「真福寺本 古事記がWEBで」をご確認下さい。
〈9 開化帝〉の処で菟上王=(比賣陀君之祖)と表記されています。
とても時空を超えた展開では・・・・・。
きっと以て、何か深ーい意味合いがあるのでしょう。
これは疑問点して、取り急ぎ前に進みます。 続く。

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