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2015年6月14日 (日)

履中帝 火炎の難波宮から脱出 522

伊邪本和気命(いざほわけ)<履中帝>
の奥様・お子様は原文でご確認を。

彼はなぜか?奥様お一人でお子さんは3名とやや現代風?
彼の住まいは伊波礼之若桜宮(いはれのわかさくらのみや)。
中々しゃれたお名前では?
ここからの展開が帝位を巡る権力奪取闘争のお話しに。
仁徳帝(大雀命)の崩御に伴い
伊邪本和気命(いざほわけ)<履中帝>が帝位をお継ぎになり、
初めての新嘗(にいなめ「大嘗(おおなめ)」祭)の際、
ご気分がよろしかった感じでお酒をたくさん召し上がり
ついつい、眠りに入ってしまわれたのです。
この機会に、弟の墨江之中津王(すみえのなかつみこ)が何と
履中帝の帝位を奪うべく難波宮に火を着けてしまうのです。
この事態に履中帝を救ったお方が「倭漢直之祖 阿知直」と。
この阿知直さんは「酩酊の応神帝 石動くと錯視?」で触れました。
以前、「阿知吉師は阿直史等の祖」で「漢直之祖」は同一人物として
扱われていなかったのですが、
この箇所では阿知吉師(阿知直)=(倭)漢直之祖とされています。
(「秦造之祖・漢直之祖の出自」)
阿知吉師は百済からの使者で応神帝の御代?4世紀に来倭の筈。
古事記を時系列で俯瞰してはいけない典型では?
この点は又別の機会に触れます。
一先ず、ここでは無視し前に進みます。
阿知直は履中帝を馬に乗せ倭方面へ待避させたのです。
履中帝は多遅比野(旧丹比郡)でお目覚め。
景色が違うことに気づき阿知直に「此間者何處(ここはどこ?)」と。
阿知直はこの間の子細をご報告。
ここで履中帝は一歌。

多遲比怒邇(たじひのに)
泥牟登斯理勢婆(ね〈眠〉むとし〈知〉りせば)
多都碁母母(たつごもも)
母知弖(もちて)
許揺麻母能(こましもの)
泥牟登斯理勢婆(眠むと知りせば)

何ともいやはや、泰然自若の伊邪本和気命(いざほわけ)<履中帝>。
「波邇賦坂(はにふざか)」に到っておもむろに振り返ると
「望見難波宮 其火猶炳」(難波宮を望むと未だ燃えていた)とか。
ここで、又、履中帝は一歌。

波邇布邪迦(はにふざか)
和賀多知美禮婆(わがた〈立〉ちみ〈見〉れば)
迦藝漏肥能(かぎろひ〈陽炎〉の)
毛由流伊幣牟良(も〈燃〉ゆるいえむら〈家群〉)
都麻賀伊幣能阿多理(つま〈妻〉がいえ〈家〉のあたり) 続く。

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