高樹は枯野(高速船)・薪・琴に 520
ここのところはとても幻想的な展開です。
当然、仁徳帝(大雀命)の時代のお話し。
「免寸(とのき)河」の西に樹齢何千年の「高樹」が有ったそうな。
(この河の場所は全く不明。)
そして、この「高樹」の影は
「旦日(朝日)」が当たると「淡道嶋(淡路島)」に届き、
夕日が当たると「高安山」を越えたのだとか。
(この山は現在の大阪府八尾市内に存在する地名に。)
そんな神々しい「高樹」を何故か伐採し造船したそうな。
その船は「捷行(高速)」だったので「枯野」と命名とか。
「枯野」と高速船との因果は幻想的?で不明。
尚、この高速船は一日に二度(朝夕)「淡道嶋(淡路島)之寒泉」の
(「寒泉」は夏でも冷たい湧き水なのかしらん?)
運搬用に供していたとか。
この美味しい?「大御水」を難波宮に献上していたそうな。
高速船、「枯野」は耐用年数が越えたのか役目を終える事に。
日本人は昔から物を大切にしていたようで塩焼き用の薪に供されたと。
又、残った木材で「琴」を作ったところ、
その琴の音(ね)は「七里」四方に響き渡ったとか。
この一里は以前の尺貫法の距離、約3,927.2mではなく
大宝律令制時代では一里=五町=300歩で、約533.5mに。
七里=3,734.5mになり、この琴はビッグボリューム音源。
そして、この状況が歌で、
加良怒袁(からぬ〈枯野〉を)
志本爾夜岐(しほ〈塩〉にや〈焼〉き)
斯賀阿麻理(しがあま〈余〉り)
許登爾都久理(こと〈琴〉につく〈作〉り)
加岐比久夜(か〈掻〉きひ〈弾〉くや)
由良能斗能(ゆら〈「由良」〉のと〈門〉の)
斗那加能(門なか〈中〉の)
伊久理爾(いくりに)
布禮多都(ふれた〈立〉つ)
那豆能紀能(なづのき〈木〉の)
佐夜佐夜(さやさや)
「由良の門」は
紀淡海峡。特に、兵庫県洲本市由良の付近。
ここで、仁徳帝(大雀命)の描写が終了。 続く。