仁徳帝とこの世長人、建内宿禰命 519
仁徳帝(大雀命)は「豊楽(宴)」の為に「日女嶋(姫島)」へ
お出かけになった際、その日女嶋(姫島)で
「鴈〈雁〉生卵(雁が卵を産む)」光景をご覧になった。
雁がこの地で産卵することはとても珍しいので
仁徳帝は建内宿禰命をお呼びになり歌でお尋ねになった。
多麻岐波流(たまきはる)
宇知能阿曾(うち〈内〉のあそ〈朝臣〉)
那許曾波(な〈汝〉こそは)
余能那賀比登(よ〈世〉のながひと〈長人〉)
蘇良美都(そらみつ)
夜麻登能久邇爾(やまと〈倭〉のくに〈国〉に)
加理古牟登(かり〈雁〉こむ〈卵生〉と)
岐久夜(き〈聞〉くや)
建内宿禰命は
孝元帝のお孫さん。
そして、仲哀帝・神功皇后の側近、応神帝の参謀として
活躍されたお方。
建内宿禰命については
「真福寺本 古事記がWEBで」
「倭建命の息子が仲哀帝に」
「神懸かり神功皇后のご神託」
「神功皇后 新羅・百済と好を結ぶ」
「香坂王 忍熊王の出生秘密」 でご確認を。
そのお方が、この仁徳帝(大雀命)のコーナーにも登場されるのです。
確かに実在のお方なら「この世長人(長寿)」を全うされています。
彼は仁徳帝のお尋ね、
「倭国で雁が産卵した事はあるか?」の問いに歌でお答えします。
多迦比迦流(たかひ〈高光〉かる)
比能美古(ひ〈日〉のみこ〈御子=皇子〉)
宇倍志許曾(うべしこそ)
斗比多麻閇(とひたまへ)
麻許曾邇(まこそに)
斗比多麻閇(と〈問〉ひたまへ)
阿禮許曾波(あれこそは)
余能那賀比登(世の長人)
蘇良美都(そらみつ)
夜麻登能久邇爾 (倭の国に)
加理古牟登(雁卵生と)
伊麻陀岐加受(いまだき〈聞〉かず)
「わたくしも未だかって倭国で『雁卵生』と聞いた事はございません。」
とお答え、更に今度は「御琴」を頂き、琴の音と共に歌でお答え。
那賀美古夜(汝が御子=皇子や)
都毘邇斯良牟登(つひ〈遂〉にしらむと)
加理波古牟良斯(雁は卵生らし)
建内宿禰命が
仁徳帝(大雀命)を「汝が御子=皇子」とお呼びされています。
建内宿禰命は長寿故の云い方なのかも。
難波地域を商業都市国家と築き上げた仁徳帝(大雀命)。
それに対し、雁は遂(つい)にやり遂(と)げられと称え
弥栄(いやさか)と彼の地に世にも珍しい卵を産んだのでしょう。
又、この歌は「本岐歌(ほきうた)之片歌」と。
「本岐歌(祝歌)」は祝い称える歌。
「片歌(かたうた)」は問答等に用いられた歌。
従って、「歌」はsongではなく古代の口語での遣り取りに。 続く。
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