石之姫命の心的現象乱れ彷徨 507
都藝泥布夜(つぎねふや)
夜麻志呂賀波袁(やましろがは〈山代川〉を)
迦波能煩理(かは〈川〉のぼ〈上〉り)
和賀能煩禮婆(わが上れば)
迦波能倍邇(川のへ〈傍〉に)
淤斐陀弖流(お〈生〉ひだ〈立〉える)
佐斯夫袁(さしぶを)
佐斯夫能紀(さしぶのき〈木〉)
斯賀斯多邇(しがした〈下〉に)
淤斐陀弖流(生ひ立てる)
波毘呂(はびろ〈葉広〉)
由都麻都婆岐(ゆつまつばき〈椿〉)
斯賀波那能(し〈其〉がはな〈花〉の)
弖理伊麻斯(て〈照〉りいまし)
芝賀波能(し〈其〉が葉の)
比呂理伊麻須波(ひろ〈広〉りいま〈在・坐〉すは)
淤冨岐美呂迦母(おほきみ〈大君〉ろかも)
石之姫命は難波津から堀江を経て山代川を遡り山城(山背)国に
向かう川傍の様子を物語っています。
川沿いには「さしぶの木(南燭〈しゃしゃんぼ〉)」が生い茂り、
そのしゃしゃんぼの木の下に葉の広い椿の木。
そして椿の花が照り輝いている。
そして次の語り
「其が葉の 広り在すは 大君ろかも」
『椿の葉が広くていらっしゃるには 大君ろかも』
これって、
「大君(仁徳帝)は多情のお方」って揶揄されておられるのかしらん?
更に石之姫命は(仁徳帝の浮気)を予想していたものの
心の動揺を隠せず、山城(山背)国へ入るやいなや
踵を返し舟を逆走、「那良(奈良)山口」に到着して一歌。
都藝泥布夜(つぎねふや)
夜麻志呂賀波袁(山代川を)
美夜能煩理(みや〈宮〉上り)
和賀能煩禮婆(わが上れば)
阿袁邇余志(あをによし)
那良袁須疑(なら〈奈良〉をす〈過〉ぎ)
袁陀弖(をだて)
夜麻登袁須疑(やまと〈倭〉をす〈過〉ぎ)
和賀美賀本斯(わがみ〈見〉がほし)
久邇波(くに〈国〉は)
迦豆良紀(かづらき〈葛城〉)
多迦美夜(たかみや〈高宮〉)
和藝幣能阿多理(わぎへ〈我家〉のあた〈辺〉り)
この叙事詩の通り、(あおによし)奈良 ⇒ 倭(大和) と足を伸ばし
石之姫命の生まれ故郷、葛城近くまでにも赴く始末。
更に更に、石之姫命は
未だ心的現象乱れ彷徨おさまらず、
又もや逆走、元の山城(山背)国へ引き返す事に。
そして、漸く、山城(山背)国、「筒木(綴喜)」在住、
「韓人」で名を「奴理能美(ぬりのみ)」と云う方の「家」に
身を寄せるのです。 続く。
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