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2015年2月22日 (日)

鬼の居ぬ間に八田若郎女と 506

仁徳帝は吉備国の黒姫とお別れした後、八田若郎女にお熱を。
八田若郎女は仁徳帝の腹違いの弟、宇遅能和紀郎子の妹。
彼女は死に際し宇遅能和紀郎子がくれぐれも「彼女を宜しく」って
仁徳帝にお願いしたお方。
彼のお陰で帝位を継いだ仁徳帝は宇遅能和紀郎子の依頼通り
八田若郎女を奥様のお一人としたのです。
彼らの係累と経緯(いきさつ)は
「応神帝の奥様・お子様」
「宇遅能和紀郎子の依頼」でご覧下さい。
それでは、皇后、石之姫命の女性らしい悋気な振る舞い。
石之姫命はある時「豊楽(宴会)」用の「御綱柏(酒器として使用)」を
採取に「木國(紀伊国)」へ赴きます。
皇后、自ら難波を留守にするお出ましですから
十中八九、仁徳帝の挙動をお試しになられたと思われます。
仁徳帝は鬼の居ぬここぞとばかり、上記の八田若郎女と熱愛。
侍る回りの方々も恥じらうほどの中睦まじさだったとか。
一方、石之姫命一行は「御綱柏(酒器用)」を舟に満載、
難波津を目指します。
その難波津には「水取司(もひ〈い〉とりのつかさ)」の役目を終え
たまたま?お国、吉備国「兒嶋(児島)」へ帰る
「仕丁(よほろ)」=宮で課役に従事されたお方が。
水取司は仁徳帝の宮(お住まい)で水を管理するお仕事される方。
そこに石之姫命の舟に従っていた皇后の従者、
「倉人女」の乗り合わせた舟が通りかかったんですって。
このお二人は面識があった感じ。
そして、ここからがいけませんこと。
無粋な水取司の仕丁は倉人女に仁徳帝と八田若郎女の事を
話してしまうのです。それも
「晝(昼)夜戲遊」
「ひねもす~よもすがら(一日中)遊び戯れておられる」って。
こんなお遊戯?って最高!
きっと以て、水取司の嫉妬でしょう。
それとも、倉人女にモーションをかけたのかしらん
それはさて置き、更に付け加え
「『靜(静)遊』(もの静かにご外遊されておられる)石之姫命が
 もし、お聞きになったらさぞかし・・・・・。」と。
倉人女は石之姫命の舟に急行、ご注進。
石之姫命の思惑は的中。
薄々こうなるであろうと予想はしていたものの
いざその通りになると石之姫命の気持ちは動揺。
恨み・辛みが増幅、怒りが大爆発。
来るべき宴会用で紀伊国で摘んだ「御綱柏(酒器)」を全て
海に投げ捨てる振る舞いに。
そして、示威行為は難波宮には帰らず「堀江」を川沿いに遡り
「山代(=山城国)」へ舟を向け、一歌。 続く。

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2015年2月15日 (日)

仁徳帝 吉備国にて黒姫と逢瀬 505

明石海峡を突っ切り、仁徳帝は播磨灘を西南一路、小豆島と左にし、
島々を伝い、やがて、黒姫住まう吉備国へ。
但し、吉備国(備前・備中・備後・美作)は広し。
備前(現在の岡山県南東部)
備中(現在の岡山県西部)
美作(現在の岡山県北部)
備後(広島県東部)
想像するに難波に近い備前と思われますが?
海路はるばる訪れて下さった仁徳帝に黒姫はおもてなし。
彼女は山畑の菘菜摘みに仁徳帝をお誘いします。
仁徳帝は喜んでお供をします。 その山畑で一歌。

夜麻賀多邇(やま〈山〉がたに)
麻祁流阿袁那母(ま〈蒔〉けるあをな〈青菜〉も)
岐備比登登(きびひとと〈吉備人と〉)
等母邇斯都米婆(とも〈共〉にしつ〈摘〉めば)
多怒斯久母阿流迦(たの〈楽〉しくもあるか)

愛しいお方と共にする時空は楽しい事、云わずもがな。
仁徳帝はさぞかし若くキャピキャピなお嬢さんと素敵な時間を
お過ごしになったのでしょう。
逢うが別れの初めなり。
お別れの時が訪れます。 その際の切ない黒姫が二歌。

夜麻登幣邇(やまとへ〈倭方〉に)
爾斯布岐阿宜弖(にし〈西(風)〉ふ〈吹〉きあげて)
玖毛婆那禮(くもばなれ〈雲離れ〉)
曾岐袁理登母(そ〈退〉きお〈居〉りとも)
和禮和須禮米夜(われわす〈忘〉れめや)

夜麻登幣邇(倭方に)
由玖波多賀都麻(ゆ〈往〉くはた〈誰〉がつま〈夫〉)
許母理豆能(こもりづの)
志多用波閉都都(した〈下〉よは〈延〉へつつ)
由久波多賀都麻(往くは誰が夫)

夜麻登(倭)=難波にお帰りになる仁徳帝に黒姫は
「あなたは倭にお帰りになり私を忘れようとも
 私はあなたの事を決して忘れないわー。」
「お忍びの恋って辛いわねー。」
ってな感じかしら? 続く。

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2015年2月 8日 (日)

淤能碁呂嶋の所在は? 504

去る者に未練たらしいのは殿方の特性。
吉備へ帰郷した黒姫に逢いたく、
「淡道嶋(淡路島)」を見たいと石之姫命を偽り仁徳帝は旅に出ます。
淡路島に向かって遠くを望み仁徳帝は一歌。

淤志弖流夜(おしてるや)
那爾波能佐岐用(なにわ〈難波〉のさき〈崎〉よ)
伊傳多知弖(いで〈出〉た〈立〉ちて)
和賀久邇美禮婆(わがくに〈国〉み〈見〉れば)
阿波志摩(あわしま〈淡島〉)
淤能碁呂志摩(おのごろしま〈淤能碁呂嶋=自凝島〉)
阿遲摩佐能(あじまさ〈檳榔〉の)
志麻母見由(島も見ゆ)
佐氣都志摩美由(さけつ島見ゆ)

ここも叙事詩、ここでの注目は
「淤能碁呂志摩(=淤能碁呂嶋)=自凝島(おのごろしま)」。
伊邪那岐命と伊邪那美命が愛を育み「国生み」をされた島。
難波港(住之江港)から舟を漕ぎ出すと
淡島(淡路島) 淤能碁呂嶋 檳榔が生い茂る島 その他諸々の島
が見渡せたって事。
淤能碁呂嶋につきましては
「艶なる古事記読み」で展開しましたのでそちらを是非ともご覧あれ。
艶なるファンタジー物語では「淤能碁呂嶋」を「奈良盆地」としました。
もし稗田阿礼の語るこの叙事詩の通りとすると
淤能碁呂嶋は大阪湾に浮かぶ「島」になってしまいます。
とすると「倭国」の発祥地点は仁徳帝が都(商業都市国家)を建造した
難波地域と考えるのが自然になります。
故に、「つや(艶)・色っぽさ」はひとまず鞘に収める事に致します。
淡島(淡路島)の周りには島とは云えない奇岩礁が散見されます。
この内のどれかが「淤能碁呂嶋」と措定されたのでしょう。
因みに、古事記伝を記した本居宣長は
淡島(淡路島)の淡路町「岩屋の絵島」をこの候補とされているとか。
この絵島は淡路島北端に存在。現在淡路町は淡路市に。
又、「おのころ島神社」は淡路島中南部に存在しています。
(兵庫県南あわじ市榎列下幡多)
さて、いよいよ仁徳帝は黒姫が住まう吉備国へ進路を取るのですが
遠回りの鳴門海峡ではなく近道の明石海峡を通った考えられます。
 続く。

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2015年2月 1日 (日)

石之姫命 黒姫に嫉妬・いびり 503

仁徳帝と愛を育み、履中帝⇒反正帝⇒允恭帝をこの世に送り出した
皇后、石之姫命。(もう一人、墨江之中津王も存在)
少なくても4回、お二人は愛の営みに勤しまれた事に。
他の女性からは「帝」が出現されていませんので
石之姫命は完璧な仁徳帝の「連れ合い」になります。
しかしながら、彼女の
「守りに入った愛情はその愛に嫉妬も比例・増幅される。」
事は世の常・・・・・。
仁徳帝を独り占めしたいお気持ちは重々判りますが健全な?殿方は
ついつい妻以外の素敵な女性に心が揺れる事必定?
石之姫命はこの殿方の必然に対し
心おおらかになれなかったと思われます。
その点、恋心が旺盛だった八千矛神(大国主神)の連れ合い
須勢理姫はとても鮮やかな対応をされていました。
その情況・状況は
「須勢理姫命の嫉妬心」
「須勢理姫命、貴女を一番好き?」
「須勢理姫命の殺し文句」
「須勢理姫命からのラヴ要求」
「神語は恋のやり取り」
須勢理姫に対し、石之姫命はとても辛辣、
彼女の「いじめ」に耐えられなかったのは吉備海部直のお嬢さん黒姫。
黒姫は「容姿端正」。
殿方は如何せん姿形から入ります。
仁徳帝は摂津国のお住まいに早速お呼びになります。
しかし黒姫は石之姫命の再三にわたる「いびり」に降参、
墨江之津()から舟に乗り、
生まれ故郷の吉備国へ帰ろうとします。
具(つぶさ)にその状況をお住まいからご覧になっていた
仁徳帝は一歌。

淤岐幣邇波(おき〈沖〉へには)
袁夫泥都羅羅玖(おふね〈小舟〉つ〈連〉ららく)
久漏邪夜能(くろざやの)
摩佐豆古和藝毛(まさづこわぎも〈妹〉)
玖邇幣玖陀良須(くに〈国〉へくだらす)

単なる、5・7・5・7・7の叙事詩では?
この歌をお聞きになった石之姫命は「大忿」。
彼女に侍る人を住之江の港に急いで遣わし黒姫を舟から下ろし
あろう事か、徒歩で帰るようにしてしまったのです。 続く。

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