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2014年12月21日 (日)

仁徳帝 国造りに着手 都市・自由国家 499

巨大な前方後円墳にお眠りなる大雀命(仁徳帝)。
ここからの古事記は史実として登場する箇所が散見され
非常に興味深く、胸が高まる処です。
大雀命(仁徳帝)のお住まいは
「難波之高津宮(なにはのたかつみや)」。
この位置確認の為、久しぶりにグーグルアースのお力を借りて。
(現住所は大阪市中央区高津1丁目1番29号と)
赤くポイントされている箇所が難波之高津宮です。

 

仁徳帝

この位置が意味するのは大阪湾のすぐ近くって事。
これはとても重要なポイントです。 それは又、折に触れます。
次は彼の奥様とお子様の紹介です。
大雀命(仁徳帝)の奥様は四人、お子さんは六人。

石之姫命(本妻 葛城出身) 〈葛城(かつらぎ)部〉
 大江之伊邪本和気命 〈後の履中帝〉 〈壬生(みぶ)部〉
 墨江之中津王
 蝮之水齒別命 〈後の反正帝〉 〈蝮(たぢひ)部〉
 男浅津間君子宿禰命 〈後の允恭帝〉
髮長姫(日向出身)
 波多毘能大郎子=大日下王 〈大日下(おおくさか)部〉
 波多毘能之若郎女=長日姫命=若日下部命 〈若日下部〉
八田若郎女
宇遅能若郎女

髮長姫は既に登場されています。
「応神帝 髪長姫を大雀命に譲る」
「大雀命(後の仁徳帝) 大願成就」 でご確認を。
八田若郎女・宇遅能若郎女のお二人も
「応神帝は10名の奥様を」 で登場されています。
八田若郎女は応神帝が次期帝にしたかった宇遅能和紀郎子の実妹。
宇遅能和紀郎子が死に際し、
大雀命(仁徳帝)に宜しく頼むとお願いしていましたよね。
大雀命(仁徳帝)はお約束を守った事になります。
詳細は 「帝位譲り合い 困窮の海人(あま)」 で。
ここで特記事項が発生。
今までの帝は
成務帝 ⇒ 仲哀帝 (倭建命の息子) の甥相続以外
全て父子相続であったにも関わらず、
大雀命(仁徳帝)のお子さん三人が 「帝」 になり兄弟相続が発生。
この件も重要なポイントに。
次は 「部(べ)」 を設定し経済集団単位形成へ。
(葛城部 壬生部 蝮部 大日下部 若日下部)
最後は国造りで大切な治水・土木・港湾事業・食糧貯蔵所の描写。
茨田堤(まむたのつつみ) 〈防波堤〉 「茨田」 地区は既出。
茨田三宅(=屯倉)(まむたのみやけ) 〈食糧貯蔵倉庫〉
丸邇池(わにのいけ)
依網池(よさみのいけ)
難波之堀江(なにはのほりえ)を掘削、
 「通海(大阪湾迄)」〈人工運河〉
又掘小椅江(をばしのえ)
又定墨江之津(すみのえのつ)

難波(なには)=浪速(なみはや)地区の初見は
神武帝での 「浪速の渡し場」 次は
応神帝と仁徳帝が登場する 「応神帝 髪長姫を大雀命に」 での
「難波津」。ここで 「依網池」 の描写も。
「依網池」 の初見は崇神帝の御代で登場しています。
「国造り」 は特定地域、経済集団体制造り。
大雀命(仁徳帝)をリーダーとして、商工業・農業を営む人達が
ここの難波地域に自然に結集したのでしょう。
墨江之津(住之江津)はまさに外国通商貿易港。
ここに初めて
日本の村(邑)落から原初都市国家・自由都市の出現が確認できます。
 続く。

今年も一年ご覧頂きまして有難うございました。
わたくしども ZIPANGU は冬休みを頂きます。
皆様におかれましては良いお年をお迎え下さい。

来年も乞うご期待。 それではご機嫌よう。

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2014年12月14日 (日)

古事記下巻 仁徳帝に 498

漸く、古事記最終巻、仁徳帝の時代がスタート。
そこの古事記原文です。

大雀命〈仁徳帝〉
坐難波之高津宮
治天下也
此天皇
娶葛城曾都毘古之女
石之日賣命(大后)
生御子
大江之伊邪本和氣命〈履中帝〉
次墨江之中津王
次蝮之水齒別命〈反正帝〉
次男淺津間君子宿祢命〈允恭帝〉(四柱)
又娶上云日向之諸縣君牛諸之女髮長比賣
生御子
波多毘能大郎子(自波下四字以音下效此)
亦名大日下王
次波多毘能之若郎女
亦名長日比賣命
亦名若日下部命(二柱)
又娶庶妹八田若郎女
又娶庶妹宇遲能若郎女
此之二柱
無御子也
凡此大雀天皇之御子等
并六王(男王五柱 女王一柱)
故伊邪本和氣命者
治天下
次蝮之水齒別命亦
治天下
次男淺津間若子宿禰命亦
治天下也
此天皇之御世
爲大后石之日賣命之御名代
定葛城部
亦爲太子伊邪本和氣命之御名代
定壬生部
亦爲水齒別命之御名代
定蝮部
亦爲大日下王之御名代
定大日下部
爲若日下王之御名代
定若日下部
又役秦人
作茨田堤
及茨田三宅
又作丸邇池依網池
又掘難波之堀江而
通海
又掘小椅江
又定墨江之津

読み解きは来週に。  続く。

web上では
国立国会図書館 電子図書館蔵書古事記中下巻P77の1行目で
確認可能ですので是非ご覧下さい。

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2014年12月 7日 (日)

神宇礼豆玖の呪詛呪文 497

春山 霞壮夫は伊豆志乙女と結婚した事を兄、
秋山 下氷壮夫にお知らせ。
ところが、兄は嫉妬・悋気し、三つのお約束ごとを果たさず反故に。
この事態に、春山 霞壮夫は母親にご注進。
(何とはなしに、彼ってマザコン気味のきらいが・・・・・。)
母は弟から事情を聞き、ご自分の計略がまんまと成功した事には
全く触れず、兄の約束違反を咎(とが)めお仕置きを。
ひょっとしたら、兄の秋山 下氷壮夫は腹違いなのかしら
秋山 下氷壮夫は 「神宇礼豆玖(かみうれづく)」 を
母にかけられます。
神宇礼豆玖の「詛(のろ〈い〉)言=呪詛呪文」は
「如此竹葉青 如此竹葉萎而 青萎
 又如此鹽之盈乾而 盈乾
 又如此石之沈而  沈臥」
(竹の葉が青いように 竹の葉が枯れるように 青くなり萎め
「鹽(潮)」の満ち引きのように 満ち引け
石が沈むように 沈め) ってな呪文。
この呪詛により、秋山 下氷壮夫は八年間も
「干萎病枯」(乾き萎み病み枯れ)たとの事。
秋山 下氷壮夫はとうとう耐えきれず、母親に泣きを入れお詫び。
母親もそれを聞き入れ、「其身如本以安平」(元の体に戻された)。
要は 「お約束ごとは守りなさい。」 って云う基本の教えかしら
殿方の皆様、くれぐれも嘘泣きはなさらないように。
女性は判っていても赦(ゆる)すのは大和撫子の大らかさ故。
この後は品陀(ほむだ)天皇=応神帝のお孫さんの描写。
そして、
「古事記巻之中終」 となり、漸く、古事記二巻目が終了。
次週はいよいよ古事記下巻、仁徳帝の御代に突入。  続く。

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