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2014年11月30日 (日)

春山霞壮夫 藤花に変容 496

弟の春山 霞壮夫はお母さん子だったのか兄との事の顛末を
具(つぶさ)に、母に話して聞かせます。
すると、母は「布遲(藤)葛(蔓)」を用意、「一宿之間(夜なべをし)」
何とその藤蔓を「織縫(織って布にし縫製し)」
「衣褌」・・・ジャケット・パンツ
「襪沓(したうず・くつ)」・・・シューズ
を作り上げ、更に、「弓矢」迄もこさえたのです。
母は早速、春山 霞壮夫にそれらを「服(着付け)」、弓矢も持たせ
数多(あまた)の男を振り続ける伊豆志乙女の家に送り出します。
ここからが奇想天外、
春山 霞壮夫が彼女の家に着くと、あーら不思議、
彼のお召し物・弓矢は悉(ことごと)く「藤花」に変容するのです。
彼はこの状況を不思議に思わなかったのかしら
この次の展開も奇っ怪。
彼は藤花に変化した弓矢を「厠(かわや=トイレ)」に「繋(つな)」ぎ
付けたのでした。
現代のトイレは家の中に存在しますが、昔、むかしは家の外に設置
されていたのです。
伊豆志乙女が用を足しに厠に足を運んだ際、
なな何と、そこには美しい藤花が垂れ下がっていたのです。
特に女性は美しい花をこよやく愛(め)でること必定。
彼女は不可思議と思いつつもその花を取り上げ家に持ち帰ります。
その際、あろう事か藤花に変身していた春山 霞壮夫は
ここぞとばかり彼女に付き従い、彼女の家に入る事に成功。
いつものようにここの古事記表現は
「立其嬢子之後入其屋 即婚 故生一子也」 といたってシンプル。
「彼はお家に入り 合体 お子さんが生まれた」 って展開。
藤花の彼はどの時点で人=春山 霞壮夫に戻ったのかしら
古事記原作者はこの時の状況・情景・情況を
「各読者は想像するように!」 ってお優しい思し召し?
八十神=数多の男共を袖にした伊豆志乙女。
彼女の心の変容は一体何を以てしてなりえたのか?
「藤花」 如きでなぜ心変わりが?
春山 霞壮夫のだまし討ち・「強引な挙動」 に心打たれたのか?
「恋の行く末」 はいつも不確か・あきの空模様。
「藤花」 で心をよぎるのは古事記・日本書紀編纂時に
圧倒的な権力を手中に入れ、スポンサードした藤原不比等さん。
純な?乙女は巨万な冨と権力をお持ちの男性にはイチコロ???
まあ、人様の恋路詮索は野暮って云うもの。
何れにせよ春山 霞壮夫は伊豆志乙女と婚姻、
お一人のお子さんを授かるのでした。  続く。

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2014年11月23日 (日)

天日矛の携行品 伊豆志之八前大神 495

 天日矛が奥様を追っかけ、来倭の際の携行品。
 まとめて、「玉津寶(宝)」 と。
 珠 二貫(ビジューストーンネックレス 2点)
 振浪比礼・切浪比礼
 振風比礼・切風比礼
 奧津鏡・辺津鏡
 * 比礼(ひれ)=領巾
   かの時代、浪(波浪)・風(暴風)等を制御可能とされた呪力布。
   迷信が解けると、素材を薄くし首にかけるストールに。
 この「八種(8品)」は
 「伊豆志之八前大神(いずしのやまえのおおかみ)」と。
  この次の展開が、又、メルヘン・ファンタジックに。
 伊豆志之八前大神のお嬢さんに
 「伊豆志袁登賣(乙女)神(いずしをとめのかみ)」 と
 云う方がいらしたそうな。
 「八十神(多くの神々)」が彼女とお付き合い・結婚したいと
 思ってトライしたけれども、どの神も為し得なかったそうな。
 伊豆志乙女は美形で気位がお高かったのかしら
 そして、物語が始まり・ゝ。
 二人の神がいらっしゃた。
 兄さんの名前は秋山の「下氷壯(壮)夫(したびをとこ)」
 弟さんの名前は春山の「霞壯(壮)夫(かすみをとこ)」
 伊豆志乙女の情報が彼らにも、もたらされた様で
 兄の秋山 下氷壮夫はいち早く彼女にトライするも
 すげなく彼女にふられたんでしょう。
 弟の春山 霞壮夫に
 「わたくしは彼女に振られたんじゃがお前は彼女をゲットできるか?」
 と投げかけます。
 弟の答えは自信ありげに
 「そんなの、いとも簡単」 との返事。
 兄はその小癪な答えを受け、提案を。
 「もしお前の云う通り彼女をゲットできたら
  『上下衣服』(メンズスーツ)
  『量身高而釀甕酒』(身丈分のお酒)
  『山河之物悉備設』(山河で採れる産物)
  これらをお前に進呈しようじゃないか。
  もしお前が失敗したら、それらを俺に贈呈せよ」 と。
 兄の秋山 下氷壮夫は
 弟も当然、彼女を落とせないと思ったのでしょう。  続く。

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2014年11月16日 (日)

天日矛の遠い係累 息長帯姫命 494

 素敵な妻、阿加流姫神さんに逃げられた天日矛。
 大事な人・ものは往々にして無くなってから気がつくもの。
 天日矛は性懲りもなく元妻、阿加流姫神さんを追いかけます。
 そして、「乃追渡来 将到難波之間」 と古事記は描写。
 天日矛は何故、彼女が難波津(倭国)に逃れた情報を知り得たのか?
 天日矛は一路、難波津をめざしたのですから
 阿加流姫神さんが
 彼に出自をどこかの時点でお話しになっていたことになる筈です。
 運良く、難波津に着いた天日矛。
 残念ながら、彼は彼女がいる難波に上陸できなかったのです。
 たぶん彼女を知る地元の方々が彼の上陸を阻止したのでしょう。
 さすが血縁・故郷絆が織りなす鉄壁の守り。
 倭撫子、阿加流姫神さんはとても幸せなお方。
 完璧に上陸阻止された天日矛は諦め、踵を返し、日本海ルート上陸
 に変更。
 とっても阿加流姫神さんを忘れられなかったのでしょう。
 瀬戸内海から周防灘、下関を抜け日本海へ。
 山陰沿岸を北東上、そして、和牛の故郷「多遅摩(但馬)国」で「泊」。
 天日矛はこの但馬国から難波津を目指したと思いきや
 なな何と、気が変わってしまったのか但馬国に「留」まるのです。
 阿加流姫神さんの奪還は許しませんが、トライしなかったのは
 男の風上に置けなく情けない極みとお思いになりません事。
 更に自国に戻らず、ちゃっかり但馬国在住のお嬢さんと
 結婚しているのです。その奥様は
 俣尾(またを)のお嬢さんで名は前津見(まえつみ)
 設けたお子さんは
  多遅摩(但馬)母呂須玖(たぢまもろすく) 彼の子供が
   多遅摩(但馬)斐泥(たぢまひね) 彼の子供が
    多遅摩(但馬)比那良岐(たぢまひらなき) 彼の子供が
     多遅麻(但馬)毛理(たぢまもり)
     多遅摩(但馬)比多訶(たぢまひたか) 由良度美と結婚
      葛城之高額比賣命(此者息長帯比賣命之御祖)
     清日子(きよひこ) 当摩之咩斐(たぎまのめひ)と結婚
       酢鹿之諸男(すがのもろを)
         妹菅竈由良度美(いもすがかまゆらどみ)
 整理すると、いずれの奥様も但馬国在住の女性とすると
 多遅摩(但馬)比那良岐はワン エイス(one eighth)で天日矛の血
 1/8を受け継いでいます。
 彼のお子さんである
 多遅麻(但馬)毛理 多遅摩(但馬)比多訶 清日子
 の三名は古事記表記で「(三柱)」とされていますので神様。
 このお三方はone sixteenth=1/16。
 次男、多遅摩(但馬)比多訶は
 彼の姪っ子、由良度美(清日子の子)はone thirty-second=1/32と結婚。
 このお二人のお子さん、
 葛城之高額姫命(かづらきのたかぬひめのみこと)は
 three thirty-second=3/32に。
 そして、なな、何と彼女はあの息長帯姫命(=神功皇后)の母とか。
 息長帯姫命(=神功皇后)の父は仲哀帝となっていますので
 彼女はthree sixty-fourth=3/64の血をお持ちになる事に。    
 又、多遅麻(但馬)毛理は垂仁帝が所望された
 登岐士玖能迦玖能木実(ときじくのかくのこのみ)=橘の実を
 常世国(とこよのくに)で探しだし持ち帰ったお方。   続く。

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2014年11月 9日 (日)

赤玉は阿加流姫神 493

 天日矛のぞんざいに扱うもの云がきっと度重なったのでしょう。
 とうとう彼女は堪忍袋の緒がプッツン切れたのでしょう。
 甲斐甲斐しく尽くした彼女は天日矛に引導を渡します。
 そして、ここで衝撃な事実が明らかにされます。
 「わたくしは 『非応為汝妻之女(貴男の妻になるようなもの)』
  ではなかった。
 『将行吾祖之国(わたくしの親がいる国に帰ります)』」 と。
 さすれば否や、彼女は即、「小舩(舟)」を調達、日本海を渡り
 瀬戸内航路で難波の津を目がけて逃げ、「遁」走。
 彼女は首尾良く難波津(倭国)に到着。彼の地に留まったとの事。
 そして古事記の注釈によると
 彼女は難波津の「比賣碁曽社(ひめごそのやしろ)」に
 「座(おいでになる)」「阿加流比賣神(あかるひめのかみ)」 とか。
 阿加流姫神は赤玉からの命名?
 阿加(赤=明るくって)流(玉=流麗な)姫神さんかしら
 ここでファンタジーな世界にも関わらずおせっかい。
 赤玉こと阿加流姫神さんの親御さんは一体誰に?
 母は新羅の阿具沼で憩っておられた女性に。
 この沼辺で憩う女性は
 新羅のお方、或いは、倭国から新羅へ来られた方。
 古事記が語る光り輝く虹感じのお方が父。
 この父も倭国から新羅へ来られた方、或いは、新羅のお方に。
 一方、阿加流姫神さんは明確に私の親は倭国、難波津の方と。
 この情報は育ての親、あの嫌らしき男からもたらされたものの筈。
 阿加流姫神さんは両親とも倭国の方、、或いは、ハーフに。
 しかして、真相は如何に。
 とても気になるところですが
 奇しくもあの嫌らしき男に聞く術(すべ)はございません。
 無粋な詮索はよしましょう。  続く。

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2014年11月 2日 (日)

赤玉は天日矛へ 乙女に変容 492

 嫌らしき男はどうも農業経営者だった感じ。
 彼の農地は平地ではなく 「山谷(山中)」 にあったとか。
 そこで汗水流す耕作者に食事を届けるのが彼の仕事の一つ。
 彼は山間の農地まで牛を使って食事デリバリー。
 決して、かの時代、2輪・4輪のお車はございません。
 ある時、お届け中、前出の新羅国王のご子息、「天之日矛」に遭遇。
 天日矛はいきなり食事配達中の彼にご質問。
 「どうしてお前は食事を牛に乗せて『山谷(山中)』に入るの?
  お前は最終的にはこの牛を食べてしまうんじゃないか?」 と
 そうして天日矛は即、(牛殺の罪?で)牢獄に入れようとします。
 嫌らしき男はあわてふためき答えます。
 「私は牛を殺すつもりはありません。
  只、私の農地で耕す人々の食事を運んでいるだけです。」 と。
 すると天日矛は怪訝な顔を浮かべ「赦」してくれそうもない感じ。
 仕方なく、嫌らしき男は後生大事と日々体に着け持ち歩いていた
 例の 「赤玉」 をに贈呈したのです。
 すると、天日矛は男を許して放免。
 「赤玉」 は天日矛にとってもそれは貴重なものだったのでしょう?
 この次の件(くだり)が奇想天外・摩訶不思議な展開に。
 嫌らしき男から貰い受けた 「赤玉」 をお家の床に置いていたところ
 「即(たちどころに)」その 「赤玉」 は「化美麗孃子」に。
 「赤玉」 は何と、見目麗しいお嬢さん(乙女)に変容したのですって。
 天日矛は彼女の美貌に絆(ほだ)され、いち早く愛の行為を。
 そして、妻としてしまうのでした。
 天日矛の連れ合いになった彼女はかいがいしくも日々彼に
 数々の世にも珍しい「珍味」を用意し「食(しょく)」させるのです。
 天日矛は新羅リーダーのご子息だった故、お金には不自由なし。
 それ故、有り余る気配りができて、更に美しき妻となれば
 有頂天になる事、必定。
 何が原因だったか知り得ませんがある時のこと、
 天日矛は心「奢」り彼女を「詈(ぞんざいに扱うもの云)」をしたそうな。
 ほんと、男性は幾つになっても子供みたいに駄々を捏ねる無邪気さ。
 これって困りものですことよ。
 この仕草を 「かわいい」 っておっしゃるのは赤の他人。
 お身内になれば 「いい加減にしなさい」 に。                  続く。

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