天日矛の遠い係累 息長帯姫命 494
素敵な妻、阿加流姫神さんに逃げられた天日矛。
大事な人・ものは往々にして無くなってから気がつくもの。
天日矛は性懲りもなく元妻、阿加流姫神さんを追いかけます。
そして、「乃追渡来 将到難波之間」 と古事記は描写。
天日矛は何故、彼女が難波津(倭国)に逃れた情報を知り得たのか?
天日矛は一路、難波津をめざしたのですから
阿加流姫神さんが
彼に出自をどこかの時点でお話しになっていたことになる筈です。
運良く、難波津に着いた天日矛。
残念ながら、彼は彼女がいる難波に上陸できなかったのです。
たぶん彼女を知る地元の方々が彼の上陸を阻止したのでしょう。
さすが血縁・故郷絆が織りなす鉄壁の守り。
倭撫子、阿加流姫神さんはとても幸せなお方。
完璧に上陸阻止された天日矛は諦め、踵を返し、日本海ルート上陸
に変更。
とっても阿加流姫神さんを忘れられなかったのでしょう。
瀬戸内海から周防灘、下関を抜け日本海へ。
山陰沿岸を北東上、そして、和牛の故郷「多遅摩(但馬)国」で「泊」。
天日矛はこの但馬国から難波津を目指したと思いきや
なな何と、気が変わってしまったのか但馬国に「留」まるのです。
阿加流姫神さんの奪還は許しませんが、トライしなかったのは
男の風上に置けなく情けない極みとお思いになりません事。
更に自国に戻らず、ちゃっかり但馬国在住のお嬢さんと
結婚しているのです。その奥様は
俣尾(またを)のお嬢さんで名は前津見(まえつみ)
設けたお子さんは
多遅摩(但馬)母呂須玖(たぢまもろすく) 彼の子供が
多遅摩(但馬)斐泥(たぢまひね) 彼の子供が
多遅摩(但馬)比那良岐(たぢまひらなき) 彼の子供が
多遅麻(但馬)毛理(たぢまもり)
多遅摩(但馬)比多訶(たぢまひたか) 由良度美と結婚
葛城之高額比賣命(此者息長帯比賣命之御祖)
清日子(きよひこ) 当摩之咩斐(たぎまのめひ)と結婚
酢鹿之諸男(すがのもろを)
妹菅竈上由良度美(いもすがかまゆらどみ)
整理すると、いずれの奥様も但馬国在住の女性とすると
多遅摩(但馬)比那良岐はワン エイス(one eighth)で天日矛の血
1/8を受け継いでいます。
彼のお子さんである
多遅麻(但馬)毛理 多遅摩(但馬)比多訶 清日子
の三名は古事記表記で「(三柱)」とされていますので神様。
このお三方はone sixteenth=1/16。
次男、多遅摩(但馬)比多訶は
彼の姪っ子、由良度美(清日子の子)はone thirty-second=1/32と結婚。
このお二人のお子さん、
葛城之高額姫命(かづらきのたかぬひめのみこと)は
three thirty-second=3/32に。
そして、なな、何と彼女はあの息長帯姫命(=神功皇后)の母とか。
息長帯姫命(=神功皇后)の父は仲哀帝となっていますので
彼女はthree sixty-fourth=3/64の血をお持ちになる事に。
又、多遅麻(但馬)毛理は垂仁帝が所望された
登岐士玖能迦玖能木実(ときじくのかくのこのみ)=橘の実を
常世国(とこよのくに)で探しだし持ち帰ったお方。 続く。
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