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2014年10月26日 (日)

沼辺で憩う女性に日耀如虹指其陰上 491

 いつもの古事記記述の如くいきなり急展開。
 新羅国王のご子息が登場してしまうのです。
 韓半島に存在した新羅は以前お話しました
 「新羅 377年 前秦に朝貢」 にでご確認下さい。
 そのご子息のお名前は「天日矛(あめのひぼこ)」。
 何やら彼は来倭しているのです。
 そして、なぜ天日矛が倭にいるのかと云う経緯(いきさつ)が
 あまりにもファンタジックに展開されるのです。
 新羅国に「阿具奴摩(あぐぬま)」と云う沼があったそうな。
 その沼の辺(ほとり)である女性がお昼寝をしていたんだとか。
 その彼女の「陰(デリケートゾーン)」上に光り輝く虹の様?なものが
 「指(射)」し込んだとか。
 又、ある男がその不可思議な状景と女性の仕草を覗いていたそうな。
 この男性って今日では女性から必ず 「後ろ指を指される」 筈!
 それはさて置き、この嫌らしい男の観察に依ると
 この沼辺でのお昼寝女性は既に懐妊されていて先程の
 光り輝く虹の様なもの?が差し込んだ後、
 何と、「赤玉」 をお生みになったそうな。
 「赤玉」 とは一体、何? ファンタジーな世界故、深くは・・・・・。
 そして、この嫌らしき男は 「赤玉」 を賤しくも女性に所望したそうな。
 沼辺でのお昼寝女性は快くか、否、煩わしかったのでしょう
 「赤玉」 を男に上げたしまったのです。
 男はうれしかったのでしょう。彼は恒にその玉を裹(くぐつ)に入れ
 「著腰」(肌身離さず腰に着け)ていたとの事。
 (裹は糸・わら等で編んだネットトートバッグ)
 ここでちょいと 「赤玉」 について詮索。
 この赤玉は決して 「赤玉ポートワイン」 ではありませんことよ。
 今となっては赤玉ポートワインはヴィンテージもの。
 赤(あか)は本来、明るい意味。後に色名に。
  色名、赤の詳細は 「日本の色の誕生」 でご確認下さい。
 玉(たま)は古来、美しく・大切なもの。又、美しい女性・石。
 従って、赤玉は光り輝くとても美しきもの。
  更に、詳しくは
  「宇都志国玉神のたま・珠・玉・霊・魂」
  「たま・霊・魂を語る折口信夫氏」
  「『霊魂の話』 折口信夫氏」
 前もって古事記のネタバレを
 ここで記述されている 「赤玉」 は沼辺で憩う(昼寝)女性が生んだ
 玉の様な柔肌を持つ女児だったのでした。
 嫌らしい男はこの美しき女児をそれはそれは大切にし、
 可憐な乙女になる迄育て待ち望んだのしょう?
 それが、その一歩手前で悔しくも?天日矛に取られてしまった顛末。
                                                                    続く。

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2014年10月19日 (日)

帝位譲り合い 困窮の海人(あま) 490

 大雀命と宇遅能和紀郎子は美しくも互いに帝位を譲り合い。
 この状況に困窮を極めた方が
 帝に食事材料を納める「海人(あま)」さん。
 「兄辞令貢於弟 弟辞令貢於兄」
 年上の大雀命は弟の宇遅能和紀郎子に
 弟の宇遅能和紀郎子は兄の大雀命に
 食糧を届ける様にと互いに海人さんに申しつける始末。
 この遣り取りに「経多日(多くの月日が経過)」した様子。
 こんな事をしていたら海の幸の生ものは腐ってしまうって云うの。
 新鮮なお魚さんは美味しい時に召し上がらないと。
 決して、旬 (一番美味しい食べ頃) を逃してはいけませんことよ。
 この行為は一度ならず二度(三度)と生じたらしく
 海人は両者への行き来に疲労困憊(こんぱい)、泣きが入ります。
 それ故、
 「海人乎因 己物而泣也(あまなれや おのがものからねなくなり)」
 とか云う諺がかの時代にはあったとか。
 このお話の古事記展開はいとも簡単にこれでお仕舞い。
 「単純明快過ぎて美し過ぎません」 ってな感じ。
 又、次なる文言が
 宇遅能和紀郎子は早くお亡くなりになり、それ故、
 大雀命が天下をお治めになられたと。
 要は大雀命(仁徳帝)が帝位を引き継がれたって事。
 応神帝がこよなく愛された眉化粧した名宮主矢河枝姫との間の
 愛の結晶、宇遅能和紀郎子。
 兄たちを諫めてまで帝位を宇遅能和紀郎子に譲った応神帝。
 この宇遅能和紀郎子が早世とは。
 ちょいとお節介かも知れませんが
 この 「早世秘話」 が日本書紀に記述されているのです。
 宇遅能和紀郎子が何度も大雀命に帝位を譲る考えを述べても
 応神帝の命を守り宇遅能和紀郎子が世継ぎであるとの
 意志を翻さない大雀命。
 宇遅能和紀郎子はこのままでは倭国リーダ不在、
 それより、どうしても兄の大雀命に帝位を譲りたく
 自ら命を絶ってしまうのです。
 なぜこれまでして彼は帝位を固辞したのか?
 きっと以て、わたくしどもには知り得ない深いご事情が有るのでは?
 宇遅能和紀郎子の死を知った大雀命は驚き、即、宇治へ赴きます。
 彼は号泣しながら亡骸の宇遅能和紀郎子に跨り名前を三度連呼。
 すると、不思議なことに宇遅能和紀郎子はかすかに蘇生。
 「私の実妹、八田皇女(古事記表記は八田若郎女)の行く末が心配。
  是非貴男の后の一人にして下さい。」 と遺言、絶命したとか。
 ここでも不可思議なことが。
 甦生した事は別として、宇遅能和紀郎子にはもう一人実妹が存在。
 素敵なお名前で女鳥王とおっしゃるお方。
 なぜ彼女のことは心配ではないのかしら
 ひょっとしたら女鳥王は八田若郎女より美しかったのかも? 続く。

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2014年10月12日 (日)

天日矛登場 古事記原文 489

 大雀命と宇遅能和紀郎子との帝位譲りと
 新羅王、天日矛が登場する古事記原文です。
 この条(くだり)でやっとのこと古事記中巻が終了します。
 それでは、ちょいと長いですがお目通しを。

於是大雀命與宇遲能和紀郎子二柱
各讓天下之間
海人貢大贄
爾兄辭令貢於弟弟辭令貢於兄相讓之間
既經多日
如此相讓非一二時故
海人既疲往裝而泣也
故諺曰
海人乎因己物而泣也
然宇遲能和紀郎子者
早崩
故大雀命治天下也
又昔有新羅國王之子
名謂天日矛
是人參渡來也
所以參渡來者
新羅國有一沼
名謂阿具奴摩(自阿下四字以音)
此沼之邊
一賤女晝寢
於是日耀如虹指其陰上
亦有一賤夫
思異其状
恒伺其女人之行
故是女人
自其晝寢時姙身
生赤玉
爾其所伺賤夫
乞取其玉
恒裹著腰
此人營田於山谷之間故
耕人等之飮食負一牛而
入山谷之中
遇逢其國王之子天之日矛
爾問其人曰
何汝飮食負牛
入山谷
汝必殺食是牛
即捕其人將入獄囚
其人答曰
吾非殺牛
唯送田人之食耳
然猶不赦爾
解其腰之玉
幣其國王之子
故赦其賤夫
將來其玉
置於床邊
即化美麗孃子
仍婚爲嫡妻
爾其孃子
常設種種之珍味
恒食其夫
故其國王之子心奢詈妻
其女人
言凡吾者
非應爲汝妻之女
將行吾祖之國
即竊乘小舩
逃遁渡來
留于難波
(此者坐難波之比賣碁曾社謂阿加流比賣神者也)
於是天之日矛聞其妻遁
乃追渡來
將到難波之間
其渡之神塞以不入
故更還、
泊多遲摩國即留其國而
娶多遲摩之俣尾之女名前津見
生子
多遲摩母呂須玖
  此之子多遲摩斐泥
   此之子多遲摩比那良岐
    此之子多遲麻毛理
    次多遲摩比多訶
    次清日子(三柱)
    此清日子娶當摩之咩斐
   生子
      酢鹿之諸男
      次妹菅竈由良度美(此四字以音)
    故上云多遲摩比多訶娶其姪由良度美
    生子
      葛城之高額比賣命(此者息長帯比賣命之御祖)
故其天之日矛持渡來物者
玉津寶云而
珠二貫
又振浪比禮(比禮二字以音下效此)
切浪比禮
振風比禮
切風比禮
又奧津鏡
邊津鏡
并八種也(此者伊豆志之八前大神也)
故茲神之女名伊豆志袁登賣神坐也
故八十神雖欲得是伊豆志袁登賣
皆不得婚
於是有二神
兄號秋山之下氷壯夫
弟名春山之霞壯夫
故其兄謂其弟
吾雖乞伊豆志袁登賣
不得婚
汝得此孃子乎
答曰易得也
爾其兄曰
若汝有得此孃子者
避上下衣服
量身高而釀甕酒
亦山河之物悉備設
爲宇禮豆玖云爾(自宇至玖以音下效此)
爾其弟
如兄言具白其母
即其母
取布遲葛而(布遲二字以音)
一宿之間
織縫衣褌及襪沓亦作弓矢
令服其衣褌等
令取其弓矢遣其孃子家者
其衣服及弓矢
悉成藤花
於是其春山霞壯夫以其弓矢繋孃子之廁
爾伊豆志袁登賣思異其花
將來之時
立其嬢子之後入其屋
即婚
故生一子也
爾白其兄曰
吾者得伊豆志袁登賣
於是其兄
慷愾弟之婚以
不償其宇禮豆玖之物
爾愁白其母之時
御祖答曰
我御世之事
能許曾(此二字以音)神習
又宇都志岐青人草習乎
不償其物
恨其兄子
乃取其伊豆志河之河嶋節竹而
作八目之荒籠
取其河石
合鹽而
裹其竹葉
令詛言
如此竹葉青
如此竹葉萎而
青萎
又如此鹽之盈乾而
盈乾
又如此石之沈而
沈臥
如此令詛置於烟上
是以其兄八年之間干萎病枯
故其兄患泣
請其御神者
即令返其詛戸
於是其身如本以安平也(此者神宇禮豆玖之言本者也)
又此品陀天皇之御子
若野毛二俣王
娶其母弟百師木伊呂辨亦名弟日賣眞若比賣命
生子
大郎子亦名意冨冨杼王
忍坂之大中津比賣命(允恭帝の奥様に)
次田井之中比賣
次田宮之中比賣
次藤原之琴節郎女
次取賣王
次沙禰王(七柱)
故意冨冨杼王者
(三國君 波多君 息長君 坂田酒人君 山道君 筑紫之米多君
布勢君等之祖也)
又根鳥王娶庶妹三腹郎女
生子
中日子王
次伊和嶋王(二柱)
次堅石王之子者
久奴王也
凡此品陀天皇
御年壹佰參拾歳
御陵在川内惠賀之裳伏岡也

古事記巻之中終

 読み解きは来週に。                                    
                                         続く。
 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書古事記中下巻P70の6行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

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2014年10月 5日 (日)

大山守命 奈良=平城山に 488

 宇治川の川底に沈んだ大山守命を引き上げるべく
 宇遅能和紀郎子は「鈎=鉤(かぎ)」を以てして川底を探索。
 (鉤は鉄製で先の曲がった形状に木の柄がついている道具。)
 やがて発見、鉤で突いてみると金属製のもの(「甲=鎧」)に当たり
 「訶和羅(かわら)」と「鳴(な)」ったとの事。
 訶和羅は擬音語表現で 「カラン」 って感じかしら
 ここで古事記は寒ーいオヤジギャグが一発。
 故にここを 「訶和羅之前(かわらのさき)」 と云うとか。
 宇遅能和紀郎子は大山守命を引き上げ、一歌。

知波夜比登(ちはやひと)
宇遲能和多理邇(宇治の渡りに)
和多理是邇(渡りぜに)
多弖流(た〈立〉てる)
阿豆佐由美(あずさゆみ〈梓弓〉)
麻由美(まゆみ〈檀=真弓〉)
伊岐良牟登(いき〈伐〉らむと)
許許呂波母閉杼(こころ〈心〉はも〈思〉へど)
伊斗良牟登(いと〈取〉らむと)
許許呂波母閉杼(心は思へど)
母登幣波(もとへ〈本方〉は)
岐美袁淤母比傳(きみ〈君〉をおもひで〈思い出〉)
須惠幣波(すゑへ〈末方〉は)
伊毛袁淤母比傳(いも〈妹〉を思い出)
伊良那祁久(いら〈苛〉なけく)
曾許爾淤母比傳(そこに思い出)
加那志祁久(かな〈悲〉しけく)
許許爾淤母比傳(ここに思い出)
伊岐良受曾久流(い伐らずそく〈来〉る)
阿豆佐由美(梓弓)
麻由美(檀=真弓)

 この歌の展開は
 宇治川の渡場の辺りに立つ梓・檀の木を伐ろうとするが
 (梓・檀は弓の材料になる木)
 その木を見ると「君」や「妹」をついつい思いだし、やりきれず、
 切なくなり、梓・檀の木を伐らずに帰って来てしまったと云う情景。
 この歌って流れに齟齬(そご)をきたしているのでは?
 宇遅能和紀郎子は兄の大山守命の企てを見事に気勢を制止し
 ご自分の手は汚さずとも伏兵に射取らせた筈。
 何を今更って感じがするのですが・・・・・?
 梓・檀の木は大山守命の隠喩。
 「君」 は応神帝を指すと思われますが、
 一方、「妹」 とは一体どちら様を想定されておられるのでしょう?
 妹とはかの時代では心安まる恋人や妻に。
 この 「妹」 が大山守命の奥様になると問題。
  人妻である彼女を好いてしまった宇遅能和紀郎子となると
 この騒動は政治闘争のみではなく怨恨が絡み一挙、複雑化へ。
 古事記原作者はいたくシンプルでぶっきらぼう表現ですので
 心の葛藤はとても読み解き辛いです事。
 大山守命の「骨(=屍)」は「那良(奈良=平城)山」に葬られたとか。
 (平城山の現在地は奈良県奈良市に)
 宇治川の辺に埋葬せず、何故、平城山に?
 ほんと古事記は言葉足らずで困っちゃいます。
 又、大山守命のご子孫は
 土形(ひぢかた)君・幣岐(へき)君・榛原(はりはら)君に。 続く。

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