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2014年9月14日 (日)

秦造之祖・漢直之祖の出自 485

 今週も渡来された方々の出自探索です。
 秦造之祖・漢直之祖の 「造」 「直」 は乙巳の変(大化の改新)
 以前の 「姓(かばね)」 でヒエラルキーを示す称号。
 造(みやっこ)は地域豪族の頭目=伴造(とものみやっこ)
 直(あたい)は地区豪族のヘッドで国造(くにのみやっこ)
 (面積は域>区。) とされていますが子細は不明。
 古代歴史研究者に依ると

 秦(はた)さんは
 「『日本書紀』 によれば、応神帝の時に120県の百姓(ひゃくせい)
   を率いて来日した弓月君(ゆづきのきみ)を祖とし、
   本拠地は山背(やましろ)国葛野(かどの)郡。
   諸国にある多数の秦部・秦人部などの部民(べみん)を統率、
   在地に大きな富を築いた。
   秦河勝が推古朝に建立したと伝えられる広隆寺は氏寺。」
 (日本史辞典 角川書店 P853)
 * 県は古代中国行政区で戦国時代以降 郡>県
 * 百姓は人々の意で現在のお百姓と異なります
 * 弓月君は融通王(新撰姓氏録)とも、秦氏の祖先とされる伝承上の方
  * 新撰姓氏録は815年嵯峨帝の勅の氏族系譜
 * 部民は差別っぽいから皆さんでお調べを

 漢(あや)さんは
 「後漢霊帝らの子孫と称する古い時期の渡来系氏族。実際は朝鮮
   半島から渡来したらしい。
   東漢(やまとのあや)氏(倭漢)と
   西漢(かわちのあや)氏(河内漢)に分かれる。
   後に渡来した氏族を今来漢人(いまきのあやひと)という。」
 (日本史辞典 角川書店 P40)
 * 後漢雷帝(156~189  在位168~189)
  東漢
  「記紀では応神帝の時に渡来したと伝える阿知使主(あちのおみ)
    を祖とする渡来系氏族で漢氏の一派。奈良盆地南部を本拠に、
    多くの渡来系技術者や部民の漢部を管轄した。
    奈良時代に子孫の坂上氏が活躍した。」
  (日本史辞典 角川書店 P1059)
  * 坂上氏でメジャーな方は
    坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)(758~811)
  西漢
  「東漢とは別に河内に居住。文(ふみ)氏・蔵首(くらのおびと)氏
    ・津史(ふひと)氏などの分かれた。
    津史氏は後に菅野朝臣(すがののあそみ)に改姓され、
    菅野真道(まみち)(741~841)が出た。」
  (日本史辞典 角川書店 P236)

 古事記表記の 「阿知吉師」 と阿知使主とを同一とする説がある
 との事ですが、古事記上は阿知吉師と漢直之祖は別々に
 記載されていますので同一人物とするのは無理筋に思えます。
 何れにせよ、かの時代、どの様な経路・経緯で来倭されたのか
 全く不明なのです。
 何れの御時に秦造之祖・漢直之祖に触れてみたいと考えています。
                         続く。

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