秦造之祖・漢直之祖の出自 485
今週も渡来された方々の出自探索です。
秦造之祖・漢直之祖の 「造」 「直」 は乙巳の変(大化の改新)
以前の 「姓(かばね)」 でヒエラルキーを示す称号。
造(みやっこ)は地域豪族の頭目=伴造(とものみやっこ)
直(あたい)は地区豪族のヘッドで国造(くにのみやっこ)
(面積は域>区。) とされていますが子細は不明。
古代歴史研究者に依ると
秦(はた)さんは
「『日本書紀』 によれば、応神帝の時に120県の百姓(ひゃくせい)
を率いて来日した弓月君(ゆづきのきみ)を祖とし、
本拠地は山背(やましろ)国葛野(かどの)郡。
諸国にある多数の秦部・秦人部などの部民(べみん)を統率、
在地に大きな富を築いた。
秦河勝が推古朝に建立したと伝えられる広隆寺は氏寺。」
(日本史辞典 角川書店 P853)
* 県は古代中国行政区で戦国時代以降 郡>県
* 百姓は人々の意で現在のお百姓と異なります
* 弓月君は融通王(新撰姓氏録)とも、秦氏の祖先とされる伝承上の方
* 新撰姓氏録は815年嵯峨帝の勅の氏族系譜
* 部民は差別っぽいから皆さんでお調べを
漢(あや)さんは
「後漢霊帝らの子孫と称する古い時期の渡来系氏族。実際は朝鮮
半島から渡来したらしい。
東漢(やまとのあや)氏(倭漢)と
西漢(かわちのあや)氏(河内漢)に分かれる。
後に渡来した氏族を今来漢人(いまきのあやひと)という。」
(日本史辞典 角川書店 P40)
* 後漢雷帝(156~189 在位168~189)
東漢
「記紀では応神帝の時に渡来したと伝える阿知使主(あちのおみ)
を祖とする渡来系氏族で漢氏の一派。奈良盆地南部を本拠に、
多くの渡来系技術者や部民の漢部を管轄した。
奈良時代に子孫の坂上氏が活躍した。」
(日本史辞典 角川書店 P1059)
* 坂上氏でメジャーな方は
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)(758~811)
西漢
「東漢とは別に河内に居住。文(ふみ)氏・蔵首(くらのおびと)氏
・津史(ふひと)氏などの分かれた。
津史氏は後に菅野朝臣(すがののあそみ)に改姓され、
菅野真道(まみち)(741~841)が出た。」
(日本史辞典 角川書店 P236)
古事記表記の 「阿知吉師」 と阿知使主とを同一とする説がある
との事ですが、古事記上は阿知吉師と漢直之祖は別々に
記載されていますので同一人物とするのは無理筋に思えます。
何れにせよ、かの時代、どの様な経路・経緯で来倭されたのか
全く不明なのです。
何れの御時に秦造之祖・漢直之祖に触れてみたいと考えています。
続く。
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