呉服(くれはとり)西素さんって 484
四方の海に守られ・育まれていた倭国(現在の日本国)に
渡来された方々。
この倭国の状況は非常に特殊で有り難い事。
朝鮮半島・中国はユーラシア大陸の東に存在、
(イギリス、グリニッジ天文台を基点として)
このユーラシア大陸、基本的には陸続きで徒歩(かち)にて移動可能。
従って、以前紹介した、「(北)魏書」 列伝 百済 に記載されている
「臣(百済)と高句麗とは、源は夫余(ふよ)に出で」 にて
百済・高句麗は出自はこれも以前紹介した
「烏丸鮮卑東夷傳(伝)」 にある中国東北地方北部に活動した民族
、夫余族に。
因みに、この夫余族にしてもご先祖様はかの地に移住する前には
かの地より北・南・西方面にお住いになっていたのでしょう。
しかしながら、これを追及すると際限がなくなりますので中止。
然(しか)るに、倭国に渡来された
土木・鍛冶・機織り・醸造技師さんらも来日(倭)された
時点でのお住まいがたまたま新羅・百済地区だっただけ。
わたくしども ZIPANGU に関連する服地をお伝え下さった
機織り技師職人、西素さん。
呉服の読みは、呉(くれ)服(はたおり ⇒ はとり)。
くれはとり ⇒ ゴフク(呉服)に。
西素さんのご先祖様が 「呉」 の国で生活されていたか、或は、
「呉」 の国から韓半島に移住してきた機織り技師職人さんに
弟子入りし絹織物作りを習得された方が西素さん。
又、呉にしても春秋時代なのか三国時代なのか???
但し、地域は長江(揚子江)流域になる筈・・・・・。
はたまた、西素さん自身、女性だったのか男性だったのか
古事記表記では、知る由もございません。
西素さんの織物がどの様な感じだったのか、興味津々ですが
蚕が生み出す絹織物も、やがて自然に還ってしまうこと必定。
故に見ることが叶わないのがちょぴり儚く寂しい思い。 続く。
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