照〈肖〉古王の贈り物横刀は七支刀? 483
前週、新羅人・百済人と記しましたがこれは不正確になります。
古事記の 「新羅人參渡来」 表記から新羅人としましたが
正確には新羅・百済地区にお住まいになっていた方に。
新羅・百済に関しましては、
「前晋朝倒れ 楽浪・帯方郡から撤退」
「百済は晋書 載記 慕容皝で」
「新羅 377年 前秦に朝貢」 でご確認下さい。
近代国家(国民国家)とは全く異なり、
市場(富)と防衛隊(兵)を牛耳れるリーダー(世話顔役・顔役)が
ある一定の影響力が及ぶ地域の「国」と云う意味合いの新羅・百済国。
(倭国もかの時代は当然この範疇に。)
百済国の成立は推定、313年~345年間に誕生。
新羅国の成立は推定、345年~377年間に成立。
そして、はるばる日本海を渡って倭国に渡来された方々は
新羅地区から
堤防・灌漑池造営技師
百済地区から
阿知吉師・・・牡馬・牝馬 横刀 大鏡 百済使者?
和邇吉師・・・論語等 文系識者
卓素・・・手人韓鍛 刀剣(金属加工)技師 鍛冶←金打
西素・・・呉服
地区は不明なれど個人の意思で
秦造之祖
漢直之祖
仁番=須須許理・・・醸造技師
阿知吉師が連れてきた、牡馬・牝馬は死して自然に還っても
持ってこられた、横刀・大鏡は朽ちてはいても土の中に有る筈。
ここで気になるのは百済リーダー 「照〈肖〉古王」 が下さった 「横刀」 。
これって、ひょっとしたら 「七支刀」 なのではないのかしらん?
七支刀裏面の文字、
「先世以来未有此刀『百済囗世囗』奇生聖音故爲倭王旨造囗囗囗世」
晋書 帝紀 簡文帝の 372年6月
「使を遣わして百済王余句を拝して鎮東将軍 領楽浪太守となる」
百済囗世囗 = 百済王余句 ⇒ 照〈肖〉古王 では???
確証は全くありませんが推定されます。
かの時代、それはそれはお宝であったと思われる「七支刀」。
「百済の初見は 「石上神宮所蔵の 『七支刀』」。」
を再度ご覧下さい。
続く。