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2014年8月31日 (日)

照〈肖〉古王の贈り物横刀は七支刀? 483

 前週、新羅人・百済人と記しましたがこれは不正確になります。
 古事記の 「新羅人參渡来」 表記から新羅人としましたが
 正確には新羅・百済地区にお住まいになっていた方に。
 新羅・百済に関しましては、
 「前晋朝倒れ 楽浪・帯方郡から撤退」
 「百済は晋書 載記 慕容皝で」
 「新羅 377年 前秦に朝貢」 でご確認下さい。
 近代国家(国民国家)とは全く異なり、
 市場(富)と防衛隊(兵)を牛耳れるリーダー(世話顔役・顔役)が
 ある一定の影響力が及ぶ地域の「国」と云う意味合いの新羅・百済国。
 (倭国もかの時代は当然この範疇に。)
 百済国の成立は推定、313年~345年間に誕生。
 新羅国の成立は推定、345年~377年間に成立。
 そして、はるばる日本海を渡って倭国に渡来された方々は

 新羅地区から 
 堤防・灌漑池造営技師
 百済地区から
 阿知吉師・・・牡馬・牝馬 横刀 大鏡 百済使者?
 和邇吉師・・・論語等 文系識者
 卓素・・・手人韓鍛 刀剣(金属加工)技師 鍛冶←金打
 西素・・・呉服
 地区は不明なれど個人の意思で
 秦造之祖
 漢直之祖
 仁番=須須許理・・・醸造技師         
 
 阿知吉師が連れてきた、牡馬・牝馬は死して自然に還っても
 持ってこられた、横刀・大鏡は朽ちてはいても土の中に有る筈。
 ここで気になるのは百済リーダー 「照〈肖〉古王」 が下さった 「横刀」 。
 これって、ひょっとしたら 「七支刀」 なのではないのかしら
 七支刀裏面の文字、
 「先世以来未有此刀『百済囗世囗』奇生聖音故爲倭王旨造囗囗囗世」
 晋書 帝紀 簡文帝の 372年6月
 「使を遣わして百済王余句を拝して鎮東将軍 領楽浪太守となる」
 百済囗世囗 = 百済王余句 ⇒ 照〈肖〉古王 では???
 確証は全くありませんが推定されます。
 かの時代、それはそれはお宝であったと思われる「七支刀」。
 「百済の初見は 「石上神宮所蔵の 『七支刀』」。」
 を再度ご覧下さい。
                           続く。

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2014年8月24日 (日)

酩酊の応神帝 石動くと錯視? 482

 この御世に新羅人が日本海を渡り倭にいらっしゃたんですって。
 建内宿禰命が彼らを率いて 「堤・池」・「百済池」 を造営。
 既に、かの地に百済人コロニーが存在したのか?
 更に、百済の国王、「照〈肖〉古王」 が
 牡馬・牝馬を一匹(「疋」)づつ、「阿知吉師(あちきし)」 に付けて
 応神帝にプレゼント。(阿知吉師は阿直史等の祖
 更に馬だけでなく、「横刀」 及び 「大鏡」 迄も頂いた模様。
 百済人もいらっしゃったのね。
 又、応神帝は百済国の賢者派遣も要請。
 照(肖)古王は快く?答え、和邇吉師(わにきし)を渡倭、
 「論語十巻」「千字文一巻」 をも彼に持たせて由。
 和邇吉師は帰国せず、倭に住まい 「文首(ふみのおびと)等祖」 に。
 加えて、
 卓素(たくそ)と云う名の 「手人韓鍛(てびとからかぬち)」
 西素(さいそ)と云う名の 「呉服(くれはとり)」 の二人も。
 又、個人的に倭にこられたのは、
 「秦造之祖(はたのみやっこのそ)」
 「漢直之祖(あやのあたへのそ)」
 仁番(にほ)=須須許理(すすこり)と云う名の
 「知醸酒人(みきをかむことをしるひと)」 の方々ら。
 この渡来の醸造技師は早速お米を仕込みお酒造りに勤しみ、
 出来立ての御酒を応神帝に献上。
 応神帝はお喜びになり一歌

須須許理賀(すすこりが)
迦美斯美岐邇(か〈醸〉みしみき〈御酒〉に)
和禮惠比邇祁理(われゑ〈酔〉ひにけり)
許登那具志(ことなぐし)
惠具志爾(ゑぐしに)
和禮惠比邇祁理(われ酔ひにけり)

 渡来の醸造職人のお酒は殊の外美味しく
 応神帝もついつい飲み過ぎ気持ちよくお酔いになられた感じ。
 ただ美味しさのあまり幾分酒量が嵩(かさ)み、
 ちょいとお外に散策、酔いが足にも回っていたので
 「転ばぬ足の『御杖』」 をご持参、すると途中に 「大石」 が。
 お茶目にもその杖で大きな石を叩(「打」)いたところ
 なんと石はあわてて 「走避(走り避けた)」 とか。
 それ故、諺に 「堅石避醉人也」 と。
 古事記編纂の飛鳥から奈良時代初期にはメジャーな諺だったのかしら
 それとも酩酊の応神帝、石が動いたと錯視・錯覚・錯乱?
 お酒は美味し過ぎ、ほどほどにできないのがかの世でも・・・・・。
 はるばる日本海を渡り、
 倭にお越しになった新羅・百済方々につきましては来週に。
                           続く。

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2014年8月 3日 (日)

大雀命(後の仁徳帝) 大願成就 481

 快く応神帝から髪長姫を譲られた大雀命。
 嬉しさのあまり、一歌。
                               
美知能斯理(みち〈道〉のしり)
古波陀袁登賣袁(こはだ嬢子を)
迦微能碁登(かみのごと)
岐許延斯迦杼母(き〈聞〉こえしかども)
阿比麻久良麻久(あひまくらま〈相枕巻〉く)
 更に続けて一歌。
美知能斯理(道のしり)
古波陀袁登賣波(こはだ嬢子を)
阿良蘇波受(あらそ〈争〉わず)
泥斯久袁斯叙母(ね〈寝〉しくをしぞも)
宇流波志美意母布(うるは〈愛〉しみおも〈思〉ふ)

 何とはなしに伝わってくる艶めかしくって素敵な感じ。
 大雀命(後の仁徳帝)は天にも昇る思い・・・・・?
 ところで突然ですが、ここで突如全く異なる展開に。
 吉野に住まう人々が大雀命のお腰(こし)に着けた
 「御刀」 をご覧になり、
 歌を送ります。

本牟多能(ほむたの)
比能美古(ひのみこ)
意冨佐邪岐(おほさざき=大雀)
意冨佐邪岐(大雀)
波加勢流多知(は〈佩〉かせるみたち〈御刀〉)
母登都流藝(もとつるぎ〈本剱〉)
須惠布由(すえふゆ)
布由紀能須(ふゆきのす)
加良賀志多紀能(から〈枯〉がしたき〈下樹〉の)
佐夜佐夜(さやさや)

 何やら、大雀命の剱を褒めている感じ?
 又、次なる展開は吉野住人がお酒を献上する際に舞い踊り歌う歌とか。

加志能布邇(かし〈白檮〉のふに)
余久須袁都久理(よくす〈横臼〉をつく〈作〉り)
余久須邇(横臼に)
迦美斯意冨美岐(か〈醸〉みしおほみき〈大神酒〉)
宇麻良爾(うま〈美味〉らに)
岐許志母知袁勢(き〈聞〉こしもちを〈食〉せ)
麻呂賀知(まろがち)

 お酒は量さえ?間違えなければどんなお酒も美味しいこと。
 脱法ハーブは頂けませんが、
 お酒は理性?を解放(ときはな)す百薬の長。
 更に付け足しのように
 応神帝の御代に
 海部・山部・山守部・伊勢部を定め、作剱池を造営したとの事。
 次なる展開は又、異なものに。                 続く。

 
 ところで、わたくしども ZIPANGU も
 猛暑回避のため夏休みを頂くことに致します。
 次回は8月24日に。

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