酩酊の応神帝 石動くと錯視? 482
この御世に新羅人が日本海を渡り倭にいらっしゃたんですって。
建内宿禰命が彼らを率いて 「堤・池」・「百済池」 を造営。
既に、かの地に百済人コロニーが存在したのか?
更に、百済の国王、「照〈肖〉古王」 が
牡馬・牝馬を一匹(「疋」)づつ、「阿知吉師(あちきし)」 に付けて
応神帝にプレゼント。(阿知吉師は阿直史等の祖)
更に馬だけでなく、「横刀」 及び 「大鏡」 迄も頂いた模様。
百済人もいらっしゃったのね。
又、応神帝は百済国の賢者派遣も要請。
照(肖)古王は快く?答え、和邇吉師(わにきし)を渡倭、
「論語十巻」「千字文一巻」 をも彼に持たせて由。
和邇吉師は帰国せず、倭に住まい 「文首(ふみのおびと)等祖」 に。
加えて、
卓素(たくそ)と云う名の 「手人韓鍛(てびとからかぬち)」
西素(さいそ)と云う名の 「呉服(くれはとり)」 の二人も。
又、個人的に倭にこられたのは、
「秦造之祖(はたのみやっこのそ)」
「漢直之祖(あやのあたへのそ)」
仁番(にほ)=須須許理(すすこり)と云う名の
「知醸酒人(みきをかむことをしるひと)」 の方々ら。
この渡来の醸造技師は早速お米を仕込みお酒造りに勤しみ、
出来立ての御酒を応神帝に献上。
応神帝はお喜びになり一歌
須須許理賀(すすこりが)
迦美斯美岐邇(か〈醸〉みしみき〈御酒〉に)
和禮惠比邇祁理(われゑ〈酔〉ひにけり)
許登那具志(ことなぐし)
惠具志爾(ゑぐしに)
和禮惠比邇祁理(われ酔ひにけり)
渡来の醸造職人のお酒は殊の外美味しく
応神帝もついつい飲み過ぎ気持ちよくお酔いになられた感じ。
ただ美味しさのあまり幾分酒量が嵩(かさ)み、
ちょいとお外に散策、酔いが足にも回っていたので
「転ばぬ足の『御杖』」 をご持参、すると途中に 「大石」 が。
お茶目にもその杖で大きな石を叩(「打」)いたところ
なんと石はあわてて 「走避(走り避けた)」 とか。
それ故、諺に 「堅石避醉人也」 と。
古事記編纂の飛鳥から奈良時代初期にはメジャーな諺だったのかしらん?
それとも酩酊の応神帝、石が動いたと錯視・錯覚・錯乱?
お酒は美味し過ぎ、ほどほどにできないのがかの世でも・・・・・。
はるばる日本海を渡り、
倭にお越しになった新羅・百済方々につきましては来週に。
続く。
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