大山守命 兄 大雀命 弟 477
応神帝はお子さんの
大山守命(おおやまもりのみこと)と
大雀命(おおさざきのみこと) のお二人に問い出します。
「お前達は兄弟のどちらが「愛」(かわゆい)と思う?」 と。
この質問には応神帝の思惑があったのです。
古事記の注釈に
「天皇所以発是問者 宇遅能和紀郎子 有令治天下之心也」
とあり、彼は宇遅能和紀郎子を跡継ぎにしたかったのです。
宇遅能和紀郎子は大山守命と大雀命より年少だったのです。
そして、この問いに年長の大山守命は兄と答えます。
一方、年中の大雀命は父、応神帝の心根(音)を察し
「兄は既に大きくなっていて心配ありませんが
弟は未だ幼い故、よりかわゆく思います。」 と答えるのです。
そこで、応神帝は
「佐邪岐(さざき)=大雀命の言が私の思い」 だとおっしゃり、
大山守命は「山海之政(山海の管理)」
大雀命は「執食国之政(国務の管理)」
宇遅能和紀郎子は「天津日継(私の世継ぎ)」 と命じられた。
以後、大雀命はこの命を守り、
大山守命は守らなかったとここで前もって暗示を。
突如、新展開して
ある時、応神帝は近淡海国 (近江国) に赴くこうとされ
途中 「御立宇遅(宇治)野上 望葛野」 で一歌。
知婆能(ちば〈千葉〉の)
加豆怒袁美禮婆(かづの〈葛野〉をみ〈見〉れば)
毛毛知陀流(ももちだる)
夜邇波母美由(やには〈家庭〉もみ〈見〉ゆ)
久爾能冨母美由(くに〈国〉のほもみ〈見〉ゆ)
宇遅(宇治)・葛野は山城国(京都府)に。
その時代、葛野は緑溢れ家・庭もあり豊かな地域だった感じ。
続く。
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