« 香坂王 忍熊王の出生秘密 471 | トップページ | 御食津⇒気比 血浦⇒都奴賀・角鹿 473 »

2014年6月 1日 (日)

忍熊王 淡海の藻くずに 472

 錯綜した係累の持ち主、香坂王と忍熊王。
 彼らは息長帯姫命(神功皇后)の殺害を目論みます。
 そして、悠長にも? 「斗賀野」 でこの戦の吉凶占いを試みます。
 (斗賀野〈とがの〉の所在地は不明)
 その結果は香坂王が猪に食べられる顛末で、彼らにとって凶。
 にも関わらず残された忍熊王は畏れず果敢に戦いに挑む展開へ。
 これでは全く以て、吉凶占いの意味合いはないのでは?
 忍熊王軍団の将軍は難波吉師部之祖 伊佐比宿祢。
 応神帝軍団の将軍は丸邇臣之祖 難波根子建振熊命。
 両軍の将軍は 「難波(なにわ)」 とされているので
 難波地区を根拠地にする豪族であったのか?
 であるなら、戦闘地区は自ずと難波に。
 応神帝軍団の偽装葬儀仕立て船に兵がいないとふんだいた
 忍熊王軍団は油断していたところ、いきなり船内に潜んでいた兵が
 難波門(港)〈なにわと〉にやすやす上陸。
 忍熊王軍団は応神帝(「太子」)軍団の計略にまんまと嵌(はま)る事に。
 これを期に両軍は戦闘状態に突入。
 忍熊王軍団は兵の出現に堪(たま)らず退却。
 戦線を立て直す為一端 「山代」 の地迄退き再度応神帝軍団に攻撃。
 (この山代〈やましろ〉は山背・山城国で現在の京都府南部。)
 やがて、戦闘は一進一退を繰り返す激戦硬直状態に。
 これを打開する為、
 応神帝軍団将軍、難波根子建振熊命は姑息にも?一計を。
 なんと息長帯姫命(神功皇后)が戦死された事にしてしまったのです。
 応神帝軍団のヘッド(大将=最高指揮官)は当然、神功皇后。
 大将を無くした軍団は戦意喪失、武器を置くことになります。
 「絶弓絃」(弓の弦を斬り)、忍熊王軍団に 「帰服」 する素振りを。
 その状況を見た忍熊王軍団の伊佐比宿祢将軍は
 相手を思いやり、 戦闘と中止。
 忍熊王のおられる地区に引き返すのです。
 退却に出た忍熊王軍団を確認すると難波根子建振熊命将軍は
 即、兵に頭に隠しておいた弦を再装備させ、
 背中を向けた無防備な忍熊王軍団に射かけたのです。
 再度、騙されたと察した伊佐比宿祢将軍らは忍熊王を守りながら
 「逢坂〈おうさか〉(滋賀県大津市南部)」 に逃走。
 お人好しにも2度騙された忍熊王軍団は敗北の道を辿り、
 「沙沙那美〈ささなみ〉=細波・楽浪」 の地でお手上げ。
 (この地は淡海=琵琶湖の西岸とされています。)
 忍熊王と伊佐比宿祢は敵の手に落ちるよりも自害を選択。
 「乗舩浮海(淡海=琵琶湖へ船で漕ぎ出し)」 辞世の歌。

 伊奢阿藝(いざあざ)
 布流玖麻賀(振熊が)
 伊多弖淤波受波(いたでお〈痛手負〉はずは)
 邇本杼理能(にほ鳥の)
 阿布美能宇美邇(あふみ〈淡海〉の海に)
 迦豆岐勢那和(かづ〈潜〉きせなわ)

 切なく悲しくも潔く?淡海の藻くずに。           続く。

|

« 香坂王 忍熊王の出生秘密 471 | トップページ | 御食津⇒気比 血浦⇒都奴賀・角鹿 473 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 香坂王 忍熊王の出生秘密 471 | トップページ | 御食津⇒気比 血浦⇒都奴賀・角鹿 473 »