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2014年5月11日 (日)

紅の裳の裾濡れて鮎か釣る 469

 身籠もっておられたにも関わらず息長帯姫命(神宮皇后)は
 南韓半島の方々とよしみ(好)を結ぶ為に渡海。
 しかしながら、月が満ちお腹の男の子(後の応神帝)は生まれそうな
 臨月に達します。
 息長帯姫命(神宮皇后)はどうしても自国で出産したく
 応神帝に 「もう少し待ってね!」 てな感じで
 石(意志?)を以てして腰に巻き付け 「纒御裳之腰」 おまじない。
 息長帯姫命(神宮皇后)の意志が勝り?
 筑紫国に到着後に無事出産。
 そして彼の地は 「宇美(うみ=産み)」 と呼ばれる事に。
 現在、福岡県糟屋郡宇美町として名残が。
 更に古事記はごり押しします。
 神宮皇后のお腰に纏った 「石」 は 「伊斗(意図?)」 村に在ると。
 伊斗(いと)が意図するものは糸をかし?
 現在では福岡県糸島郡、「鎮懐石八幡宮」 に鎮座。
 更に、産後の肥立ちが良かったのか神宮皇后は
 「筑紫末羅縣之玉嶋里」 へ赴き、その地で食事、川釣りへと展開。
 筑紫国末羅縣(松浦県〈まつらあがた〉)玉嶋里
 現在の佐賀県唐津市玉島近辺。
 ここに流れる玉島川で 「年魚(=鮎)」 釣りを勤しむ神宮皇后。
 釣り糸は 「御裳」 から引き抜き、餌は食事残飯の 「飯粒」。
 この古事記表記からこの時代も年魚(=鮎)体長20~30㎝とすると
 神宮皇后御裳の素材は苧麻(からむし)の極太糸に。(帆布糸感じ)。
 又、かの時代には、餌に飯粒から 「お米」 が食されていた事実が。
 そして、このイベントは
 (女性がご自分の裳の糸を使用、
  釣り餌はご飯粒にての年魚=鮎) 釣り大会)
 古事記撰録時代まで続いていたとか。
 もし、この裳の色が紅であったなら赤い糸で結ばれることになる鮎。
 鮎は魚偏に占い。
 熱き血潮の持ち主が 「恋占い」 に興じておられたのやも。
 そこが 「やも」 でもないのですよっ。
 万葉歌人、大伴旅人(665~731)が奏でているのです。

 「松浦川 川の瀬光り 鮎釣ると          (松浦川=玉島川)
  立たせる妹が 裳の裾濡れぬ」
 「遠つ人 松浦の川に 若鮎釣る
  妹が手本を 我こそまかめ」
 
 「若鮎釣る 松浦の川の 川波の
  並にし思はば 我恋ひめやも」
 「松浦川 七瀬の淀は 淀むとも
  我は淀まず 君をし待たむ」

 「松浦川 川の瀬早み 紅の
  裳の裾濡れて 鮎か釣るらむ」

 私ども ZIPANGU は 「あっち向いてフォン(suma-pho)時代」
 でも決して 「阿諛(あゆ)迎合」 は致しません事。                続く。

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