紅の裳の裾濡れて鮎か釣る 469
身籠もっておられたにも関わらず息長帯姫命(神宮皇后)は
南韓半島の方々とよしみ(好)を結ぶ為に渡海。
しかしながら、月が満ちお腹の男の子(後の応神帝)は生まれそうな
臨月に達します。
息長帯姫命(神宮皇后)はどうしても自国で出産したく
応神帝に 「もう少し待ってね!」 てな感じで
石(意志?)を以てして腰に巻き付け 「纒御裳之腰」 おまじない。
息長帯姫命(神宮皇后)の意志が勝り?
筑紫国に到着後に無事出産。
そして彼の地は 「宇美(うみ=産み)」 と呼ばれる事に。
現在、福岡県糟屋郡宇美町として名残が。
更に古事記はごり押しします。
神宮皇后のお腰に纏った 「石」 は 「伊斗(意図?)」 村に在ると。
伊斗(いと)が意図するものは糸をかし?
現在では福岡県糸島郡、「鎮懐石八幡宮」 に鎮座。
更に、産後の肥立ちが良かったのか神宮皇后は
「筑紫末羅縣之玉嶋里」 へ赴き、その地で食事、川釣りへと展開。
筑紫国末羅縣(松浦県〈まつらあがた〉)玉嶋里
現在の佐賀県唐津市玉島近辺。
ここに流れる玉島川で 「年魚(=鮎)」 釣りを勤しむ神宮皇后。
釣り糸は 「御裳」 から引き抜き、餌は食事残飯の 「飯粒」。
この古事記表記からこの時代も年魚(=鮎)体長20~30㎝とすると
神宮皇后御裳の素材は苧麻(からむし)の極太糸に。(帆布糸感じ)。
又、かの時代には、餌に飯粒から 「お米」 が食されていた事実が。
そして、このイベントは
(女性がご自分の裳の糸を使用、
釣り餌はご飯粒にての年魚=鮎) 釣り大会)
古事記撰録時代まで続いていたとか。
もし、この裳の色が紅であったなら赤い糸で結ばれることになる鮎。
鮎は魚偏に占い。
熱き血潮の持ち主が 「恋占い」 に興じておられたのやも。
そこが 「やも」 でもないのですよっ。
万葉歌人、大伴旅人(665~731)が奏でているのです。
「松浦川 川の瀬光り 鮎釣ると (松浦川=玉島川)
立たせる妹が 裳の裾濡れぬ」
「遠つ人 松浦の川に 若鮎釣る
妹が手本を 我こそまかめ」
「若鮎釣る 松浦の川の 川波の
並にし思はば 我恋ひめやも」
「松浦川 七瀬の淀は 淀むとも
我は淀まず 君をし待たむ」
「松浦川 川の瀬早み 紅の
裳の裾濡れて 鮎か釣るらむ」
私ども ZIPANGU は 「あっち向いてフォン(suma-pho)時代」
でも決して 「阿諛(あゆ)迎合」 は致しません事。 続く。
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