神功皇后 新羅・百済と好を結ぶ 468
古事記の展開では
神功皇后・建內宿祢〈禰)一行は新羅・百濟(済)に進行し
両国を平定。
金銀お宝を求め、はるばる海を渡ったにも関わらず
その金銀お宝には触れず仕舞い。
なにやら新羅のリーダー(「國王」)はいとも簡単に神功皇后一行に
平服、今後は毎年 「お土産(おみやげ)」 をお届けしますとの事。
又、新羅のお隣、百済には 「定渡屯家」 と記されていますので
百済のリーダー(「國王」)から幾分かの領地を頂戴した感じ。
更に百済からの帰途、新羅に立ち寄り、
おせっかいに思われますが新羅城門前に
「墨江大神之荒御魂」(海神三神)ご加護のお裾分けと思われる
分霊を祀り、奉納したとか。
従って、
金銀お宝は新羅・百済の方々との親好を深める事?だった。
現在のような 「国民国家」 概念がない時代に於いては
明確な領土・領海の境界観念が有るわけが無く
その土地のリーダーの影響力が及ぶ範囲が 「國=国」 とされた
のですから、案外、「親好を深める=よしみ(好)を結ぶ」 と考える
事は当たっているのかも知れません。
所詮、互いは経済行為 (市場取引) あっての利益(利得)追求。
よしみ(好)を結ばない限り、円滑な市場取引は不可能です。
昨今ではこれを 「経済的互恵関係」 と命名されています。
互いの特産品を 「市場」 で交換し合い、利得を互いに甘受する事。
これが市場経済の原点。
飛行機なき時代、特産品輸送は水運・海運に限り、
集積地(市場)は自ずと川近接地(水運)・港(海運)近郊となる筈。
やがて、目利き・面倒見が良く、武力を兼ね備えた人物が
リーダーとなりそのエリアを差配するようになるのでは。
そのリーダーの呼称が
頭・王・単于(ぜんう)・皇帝・天皇等々、カタカナでは
アウグストゥス・ファラオ・キング・マハラジャ・スルタン・ハーン等々、
各エリアにより異なるだけ。
そんなこんなで、南韓半島の新羅・百済エリアのリーダーと
よしみ(好)を結んだ神功皇后一行は彼らに別れを告げ、
再度、住吉三神のお力添えを願い、その時代の海の玄関、筑紫へ
帰還する事に相成るのです。 続く。
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