高(句)麗と倭 歴史記述の初 464
(前)漢書に依ると、
(漢書は後漢〈25~220〉時代の班固の撰で82年頃成立した事に。)
BC108 年、前漢の武帝、劉徹(BC156~BC87)は
渤海(ぼっかい)、及び、韓半島を制圧、
北から玄菟・楽浪・臨屯・真番郡の4軍管区を設置。
BC82 年、武帝の息子、昭帝(BC94~BC74)の際、
真番(しんばん)郡を楽浪(らくろう)郡に編入。
又、時を経ず臨屯(りんとん)郡も楽浪郡に編入とか。
玄菟(げんと)郡の司令部が 「高句麗県(都市名)」 に置かれた。
(麗の表記は馬偏に麗)
(玄菟郡は鴨緑江〈(おうりょくこう〉の上流地域一帯と)
やがて、漢王朝の財政的理由からこの玄菟郡も遼東郡管轄に。
旧玄菟郡の地区は漢王朝の支配力が低下、
そして、この地区に住まう方々からリーダーが輩出し
高(句)麗と云う領域(エリア)が生成される事に。
先週紹介しましたが、もう一度、
中国王朝の歴史は
前漢(BC206~8) ⇒ 後漢(25~220) ⇒ 三国時代(220~280) ですが
中国王朝の歴史書作成時系列は
(前)漢書(82頃) ⇒ 三国志〈魏書〉(297) ⇒ 後漢書(432)に。
その三国志 魏書 烏丸鮮卑東夷傳(伝)に依ると、
高(句)麗はBC37年に成立したとの事。
一方、最後の倭について、
「倭」 の初見は三国志 魏書 烏丸鮮卑東夷傳(伝)よりも前の
(前)漢書に登場しているのです。
(前)漢書 地理志に
「樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云」
「楽浪の海中に倭人あり。
分れて百余国となる。
歳時をもって来たりて献見す。」
尚、この楽浪郡の司令部は 「朝鮮県(都市名)」 にあったと。
朝鮮県は現在の北朝鮮の首都、平壌(ピョンヤン)の対岸地区との事。
又、「倭」 につきましては後々詳しく。 続く。
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