倭建命の息子が仲哀帝に 457
倭建命の係累などの展開箇所。
その描写から倭建命は少なくても6名の奥様がいらっしゃった事実。
尾張で愛を育んだ美夜受姫はエントリーされていません。
又、ここで 「大帯彦淤斯呂和気命=景行帝」 のご子息
「若帯日子天皇=成務帝」 が父子相続します。
しかし、この成務帝の事跡は全く展開されず
尚かつ彼の次の帝は
倭建命の息子さん 「帯中津日子命=仲哀帝」 が繋ぐ事に。
そこの古事記原文です。
此倭建命
娶伊玖米天皇之女 伊玖米天皇=垂仁帝
布多遲能伊理毘賣命(自布下八字以音)
生御子
帶中津日子命(一柱) 帶中津日子=後の仲哀帝
又娶其入海弟橘比賣命
生御子
若建王(一柱)
又娶近淡海之安國造之祖
意富多牟和氣之女
布多遲比賣
生御子
稻依別王(一柱)
又娶吉備臣建日子之妹
大吉備建比賣
生御子
建貝兒王(一柱)
又娶山代之玖玖麻毛理比賣
生御子
足鏡別王(一柱)
又一妻之子
息長田別王
凡是倭建命之御子等
并六柱
故帶中津日子命者
治天下也
次稻依別王者(犬上君 建部君等之祖)
次建貝兒王者
(讚岐綾君 伊勢之別 登袁之別 麻佐首 官首之別等之祖)
足鏡別王者
(鎌倉之別 小津 石代之別 漁田之別之祖也)
次息長田別王之子
杙俣長日子王
此王之子
飯野眞黑比賣命
次息長眞若中比賣
次弟比賣(三柱)
故
上云若建王
娶飯野眞黑比賣
生子
須賣伊呂大中日子王(自須至呂以音)
此王娶淡海之柴野入杵之女
柴野比賣
生子
迦具漏比賣命
故大帶日子天皇
娶此迦具漏比賣命
生子
大江王(一柱)
此王
娶庶妹銀王
生子
大名方王
次大中比賣命(二柱)
故此之大中比賣命者
香坂王忍熊王之御祖也
此大帶日子天皇之御年
壹佰參拾漆歳
御陵在山邊之道上也
若帶日子天皇 若帶日子天皇=後の成務帝
坐近淡海之志賀高穴穗宮
治天下也
此天皇
娶穗積臣等之祖
建忍山垂根之女
名弟財郎女
生御子
和訶奴氣王(一柱)
故建内宿祢爲大臣
定賜大國小國之國造
亦定賜國國之堺
及大縣小縣之縣主也
天皇御年
玖拾伍歳
御陵在沙紀之多他那美也
係累描写ですので特に問題はないと。 続く。
web上では
国立国会図書館 電子図書館蔵書古事記中下巻P51の14行目で
確認可能ですので是非ご覧下さい。
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