倭建命 白鳥になり天空に飛翔 456
倭建命の死は即、早馬(「駅使」)で倭(大和国)に知らされた。
この期に及んで古事記は新情報を提供します。
確か倭建命が隼人・東国平定に出かけた時点はそんなにお年を
召されていなかった筈。
しかし、彼の訃報を知ったのは父親の景行帝は当然として倭建命の
お后・お子様達だったのです。
彼が東国平定に出かけた時点で、既に複数の奥様がいらした事に。
幾ら。権力者・お金持ちだけの一夫多妻制時代とは云え
いやはや何とも・・・・・。
古事記の奇想天外な展開には参ってしまいます事よ。
少なくても奥様は横須賀沖で身を挺して倭建命を助け入水した
弟橘姫命だけかと思いきやそうではなかったのです。
「弟橘姫命の献身」 で彼女の思いやりをご確認ください。
倭(大和国)にいらした奥様・お子様達は突然の訃報に気が動転
急いで能煩野(のぼの)へ向かいまい弔います。
お墓を作り、なき悲しんでその墓前で歌を捧げます。
那豆岐能多能 (なづきのた〈田〉の)
伊那賀良邇 (いな〈稲〉がらに)
伊那賀良爾 (いな〈稲〉がらに)
波比母登富呂布 (は(匍)ひもと〈廻〉ほろふ)
登許呂豆良 (ところづら〈野老蔓〉)
すると突然倭建命の霊は 「八尋白智鳥」 となり天空に飛翔。
大きな白鳥は濱(浜=海)へ向かいます。
奥様・お子様達は彼を追いかけます。
但し、追いかける道すがらは足下が悪くブッシュだらけ。
そこで一歌、
阿佐士怒波良 (あさじのはら〈浅小竹原〉)
許斯那豆牟 (こし〈腰〉なづむ)
◯良波由賀受 (そら〈空〉はゆ〈行〉かず)
阿斯用由久那 (あし〈足〉よゆ〈行〉くな)
大きな白鳥は浜づたいに滑空。
追いかける奥様・お子様達はここで一歌、
宇美賀由氣婆 (うみ〈海〉がゆ〈行〉けば)
許斯那豆牟 (こし〈腰〉なづむ)
意富迦波良能 (おほかはら〈大河原〉の)
宇惠具佐 (う〈植〉ゑぐさ〈草〉)
宇美賀波 (うみ〈海〉がは)
伊佐用布 (いさよふ)
更に白鳥は磯(「礒」)づたいに飛行。
追いすがる奥様・お子様達は、又、ここで一歌、
波麻都知登理 (はま〈浜〉つちどり〈千鳥〉)
波麻用波由迦受 (はま〈浜〉よはゆ〈行〉かず)
伊◯豆多布 (いそ〈磯〉づたふ)
上の四歌はお葬式の際に歌われるもの。
故に今(古事記時代)でも 「天皇之大御葬」 時に歌われている。
更に更に白鳥は飛び続け河内国の志紀(「志幾」)舞い降りた。
そこでこの地に 「御陵」 を。 通称、「白鳥御陵」 と。
白鳥はやっと彼の地に留まると思いきやこの地からも更に又、
天空に飛翔されたとの事。 続く。
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