阿豆麻波夜=吾妻⇒東 452
明けましておめでとうございます。
皆様におかれましては良い年を迎えられたましたでしょうか?
今年も何卒、宜しくおん願い奉ります。
それでは昨年からの続きです。
倭建命は弟橘姫命の愛のお陰で無事房総半島に上陸を果たし
更に北上。
荒ぶる各地(東北地方の何処までかは不明)の豪族を悉く平定。
(「悉言向荒夫琉蝦夷等 亦平和山河荒神等)」
所期の目的を達し、踵(きびす)を変え一路大和へ。
その途中、足柄の坂本に到り食事を取っている際、
足柄山神の化身、「白鹿(はくろく)」 が出現。
(はくしかと読んではいけません。それだと酒造メーカーに。)
この白鹿は倭建命一行の足柄峠越えを拒んだのでしょう。
すかさず倭建命は食べ残しの
蒜(ひる=葱<ねぎ>・大蒜<にんにく>・野蒜<のびる>の総称)を
白鹿に向けて投げつけると運良く白鹿の目に命中。
足柄山神は敢え無く死に追いやられたと云う考えられない展開。
「足柄神社」 の由緒ではこの白鹿は道先案内をした事になっています。
遮る白鹿を退治し倭建命は登頂。
彼の地で 「弟橘姫命」 を思い出したのでしょう。
彼は東に向かい 「阿豆麻波夜(あずまはや=吾妻や⇒東)」 と。
これが 「東=あずま」 の起源と。
倭建命らは相模国を後にし、甲斐国の 「酒折宮」 に到着。
そこで、余裕なのか徐(おもむろ)に歌を。
邇比婆理(にいはり=新治<常陸国>)
都久波袁須疑弖(つくばをすぎて=筑波を過ぎて)
伊久用加泥都流(いくよかねつる=幾夜か寝つる)
この質問に答えたお方は篝火を炊いていた(「御火燒」)老人。
迦賀那倍弖(かがなべて)
用邇波許許能用(よにはここのよ=夜には九夜)
比邇波登袁加袁(ひにはとをかを=日には十日)
この的確な返事に倭建命はこの老人を誉め東国造にしたとか。
倭建命は更に甲斐国から科野国(信濃国)へ入りこの国のリーダー
を説き伏せ平定。
足早に倭建命は美夜受姫の住まう尾張国に。 続く。
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