弟橘姫命の献身 451
焼津を後にし、倭建命は更に東に歩を進めます。
そして着いた所が 「走水海」。
「倭建命 東国旅程考」 で触れました様に
この走水海は今の横須賀との事です。
ここから今の浦賀水道を渡り今の房総半島に上陸する算段。
確かにこの地から房総半島は最短距離。
武蔵国を蹴っ飛ばし安房・下総・上総国へ足を伸ばした事に。
相模国のどちら様かが舟を用意し、倭建命軍団に
今の横須賀⇒木更津・君津・富津の最短距離情報を提供した筈。
そこで走水海からいざ舟(「舩」)を漕ぎ出すと
どうも海神様のご機嫌が麗しくなかった感じで荒波に舟は翻弄され
前へ進む事ができなかったのです。
ここ迄はまあよくある出来事だと思うのですが、
ここで突如、不可思議な展開になってしますのです。
それは 「弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)」 の出現です。
彼女は何やら倭建命の后(奥様)なんですって。
「其后名弟橘姫命」
あら嫌だ、彼って既婚者だったんですよ。
何でまた、東征部隊に彼の奥様がいらっしゃるのでしょう?
何やら、秀吉の小田原攻めを呈している感がしないでも・・・・・。
とても余裕がある戦闘軍団に思いますが、
それよりも倭建命のちゃっかり振り、
尾張の美夜受姫にリーチをかけるし、東征部隊には奥様連れ。
いやはや何ともミドルティーンにも関わらずおませなお方。
ここからの展開も異な物。
彼女は海神に身を捧げ、
海を穏やかにし軍団を房総に赴かす振る舞いに。
弟橘姫命は倭建命に
「貴男は景行帝の命を無事お勤めし大和に凱旋下さい。」 と
言い残し、海に入ります。
その際、海の上には 「菅疊・皮疊」 と 「絁疊(絹の敷物)」 を
たくさん敷き詰め、海神に身を任せます。
この彼女の行為により、海は凪ぎ舟は房総に無事到着。
後付で彼女の入水理由を歌で表現、
佐泥佐斯 (さねさし)
佐賀牟能袁怒邇 (さがむのおのに 相模の小野に)
毛由流肥能 (もゆるひの 燃ゆる火の)
本那迦邇多知弖 (ほなかにたちて 火中に立ちて)
斗比斯岐美波母 (とひしきみはも 問いし君はも)
相模国造の火攻めに遭遇した際、
「あなたは私の事を慮(おもんばか)りお声をかけてくださった。」
愛の力って凄(すご)いものですね。
彼女がお付けになっていた櫛が七日後に浜に打ち上げられ
それを彼女の形見をし御陵を作られたとの事。 続く。
今年もお世話になりました。忘年会で慌ただしい今日この頃、
今年はこれでお仕舞い。
来年も宜しくお願い申し上げ奉りまーす。
皆様におかれまして良いお年をお迎え下さい。
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