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2013年10月27日 (日)

倭建命 女形変身物語 445

 小碓命(倭建命)は多分海路で熊曾国へ到着。
 誰かにお聞き成ったのか?熊曾建二人が住まうと思しき所へ
 足を運ぶと何と家を三重にも巡らす武装軍団が護衛している状況。
 この護衛、
 常時なのか大和地区豪族軍団来襲を予想していたかは
 何も触れていません。
 何やら家(「屋」)を新築していたらしく完成し
 新築記念の宴(「御室楽」)の準備に大忙しの様相。
 小碓命(倭建命)は宴の日取りまで時を過ごす事に。
 いよいよ待ちに待った新築記念宴の期日が到来。
 彼も準備に取り掛かります。
 先ず、額に結った髪を解きほぐし、
 初々しい乙女ヘアールック、ナチュラルセミロングの髪型に。
 (「如童女之髮梳垂其結御髮」)
 お次は、
 伊勢の叔母様に頂いたヤングカジュアル衣装にお着替え。
 おじさま胸ドキ、JK散歩風ファッション?にヘ・ン・シ・ン。
  (「成童女之姿」)
 そこで意を決し、いそいそと年増女性達の中を進み
 新築された家に侵入成功。
 概(おおむ)ね殿方は何につけ初ものが大好き?
 熊曾建兄弟も
 ご多分に漏れずうら若き女形姿の小碓命(倭建命)に
 いち早く気づき、いたく感じ入る始末。
 「ちこう寄れ」 ってな感じで熊曾建兄弟お二人の側(そば)に
 侍らせる事態に。(多分お酌をさせたのでしょう)
 やがて、酔いが回り宴も 「酣(たけなわ)」 を迎えます。
 その時を待ち兼ねていた様に、
 女形=小碓命(倭建命)は懐に忍ばせた剱を取り出し
 熊曾建兄の 「衿(=襟)」 を掴むや否や心の臓を一刺し。
 その光景を目(ま)の当たりにした熊曾建弟は畏れおののき
 その場から逃げ出す挙(きょ)に。
 そうはさせじと、女形=小碓命(倭建命)はすぐさま彼を追い、
 背中を掴み、彼のお尻を刺し通し。
 お尻を刺された熊曾建弟は痛みに堪え
 (ひよっとしたら気持ちいい? そんな事は・・・。)
 「どうか剱(「刀」)を動かさないで
 貴女(男)にお話ししたい事があります」 と訴えます。
 小碓命(倭建命)は暫し許し、彼を押し倒し話し聞きます。
 熊曾建弟はすぐさま
 「あなたは一体誰なの?」
 小碓命(倭建命)はすかさず
 「わたくしは大和におわします景行帝の息子」
 「名は倭男具那王(やまとおぐなのみこ)」
 「貴男達兄弟は父の命に従わず、礼を欠く輩」
 「それ故、貴男達の退治に遣わされた」 と。
 動けず、如何ともしがたい熊曾建弟は
 「貴男のおっしゃる通りです。
  この西国では私達以外強い(「建」)リーダーはおりません。
  貴男に不覚を取った以上(姑息な手段とは云え)降参です。
  貴男は私達兄弟を抹殺したのですから、どうか今後は、
  『「倭建御子」=倭建命』 とお名告り下さい。
 倭建命は聞くや否や、お尻から剱を抜き
 熊曾建弟を否応なく滅多切りにしてしまったのです。
 ここ迄が倭建命 女形変身物語。
 次の展開はより姑息な手段が使われるのです。          続く。

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2013年10月20日 (日)

小碓命 倭姫命に衣装を所望 444

 景行帝は大碓命に対する小碓命(倭建命)の振る舞いを聞き
 根性の座りきり、荒々しい心情(「建荒之情」)に感服?・驚嘆し
 一計を巡らします。
 その謀(はかりごと)は西のかなたに住まう熊曾建兄弟征伐。
 彼らは中央政権に伏さず、礼を欠いていたとの事。
 (只、これってあくまでも景行帝側の身勝手な論理)
 熊曾族(国)はその時代日本列島の西南領域にいらした方々。
 (「古事記のイントロ 国生み」 でご確認を)
 そもそもこの地は、神武帝が治め、大和に向かう出発地点。
 更に、神武帝のお爺さん、山幸彦のお兄さん海幸彦(火照命)は
 「火照命(此隅隼人阿多君之督)」
 で大隅 (今の鹿児島) 地区の隼人とされていますので
 決して仲が悪いとは思われませんが・・・・・。
 これについては後々触れます。
 小碓命(倭建命)は前回お話した様に
 うら若きローティーンエイジャー。
 わざわざ
 「当比之時 其御髮結額也」 との記載は次なる展開へのイントロ。
 額(ひたい)に結ったヘアースタイルは年少表現になるんですって。
 しかし、どの様な髪型かは全く預かり知れません。
 とってもカワイイ髪型だったって事にして先に進みます。
 小碓命(倭建命)は熊曾建兄弟征伐にあたり
 先ずは叔母様(倭姫命)=「拝祭伊勢大神宮」がいらっしゃる、
 今年は特に式年遷宮でメジャーになった
 スーパーパワーホットスポット、「伊勢神宮」に於いて
 必勝祈願を行います。
 又、その際、叔母様(倭姫命)により若い時にお召しになった
 ヤングカジュアル衣装(「御衣御裳」)をお強請(ねだ)りします。
 殿方の皆さん、決して変な想像はなさらないで下さいませ。
 これが後に活躍する事になるのですから。
 ここでちょいと 「拝祭伊勢大神宮」 について。
 このお役目は 「斎宮(王)」 と云われています。
 この制度、要は時の帝が戦勝・天下安寧等々を願い、
 お身内のお嬢さんを伊勢神宮に遣わし御利益を得るが目的。
 お嬢さん達にとっては大の迷惑だった筈・・・・・。
 斎宮、倭姫命は2代目、
 初代は倭姫命の叔母様で崇神帝のお嬢さん豊鉏入姫命
 これに関しても後々触れる事に成りますのでこれ位で。
 そして、小碓命(倭建命)は
 やや頼りない武器である懐刀を忍ばせ(「以剱納于御懐」)
 いよいよ熊曾国へ赴くのです。                続く。

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2013年10月13日 (日)

小碓命(倭建命)の熊曾制圧物語 443

 小碓命(倭建命)による 「熊曾」 制圧物語。
 そこの古事記原文です。

於是天皇
惶其御子之建荒之情而
詔之
西方有熊曾建二人
是不伏旡禮人等
故取其人等而遣
當此之時
其御髮結額也
爾小碓命
給其姨倭比賣命之御衣御裳
以劒納于御懷而幸行
故到于熊曾建之家見者
於其家邊軍圍三重
作室以居
於是言動爲御室樂
設備食物
故遊行其傍
待其樂日
爾臨其樂日
如童女之髮梳垂其結御髮
服其姨之御衣御裳
既成童女之姿
交立女人之中
入坐其室内
爾熊曾建兄弟二人
見感其孃子
坐於己中而
盛樂
故臨其酣時
自懷出劒
取熊曾之衣衿
以劒自其胸刺通之時
其弟建
見畏逃出
乃追至其室之椅本
取其背皮
劒自尻刺通
爾其熊曾建白言
莫動其刀
僕有白言
爾暫許
押伏
於是白言
汝命者誰
爾詔吾者坐纒向之日代宮
所知大八嶋國
大帶日子淤斯呂和氣天皇之御子
名倭男具那王者也
意禮熊曾建二人
不伏無禮聞看而
取殺意禮詔而遣
爾其熊曾建白信然也
於西方除吾二人
無建強人
然於大倭國益吾二人而
建男者坐祁理
是以吾獻御名
自今以後應稱倭建御子
是事白訖
即如熟苽振折而
殺也故自其時稱御名
謂倭建命

然而還上之時
山神河神
及穴戸神
皆言向和而
參上
即入坐出雲國
欲殺其出雲建而
到即結友
故竊以赤檮
作詐刀
爲御佩
共沐肥河
爾倭建命
自河先上
取佩出雲建之解置横刀而
詔爲易刀
故後出雲建自河上而
佩倭建命之詐刀
於是倭建命
誂云伊奢合刀
爾各拔其刀之時
出雲建不得拔詐刀
即倭建命拔其刀而
打殺出雲建
爾御歌曰、
夜都米佐須 
伊豆毛多祁流賀 
波祁流多知 
都豆良佐波麻岐 
佐味那志爾阿波禮
故如此撥治
參上覆奏

 読み解きは来週に。                                         続く。

 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書古事記中下巻P42の4行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

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2013年10月 6日 (日)

荒振る小碓命(倭建命) 442

 大碓命は大胆不敵な性格をお持ちでなく
 十中八九、容姿麗美嬢の横取りを気が気でなかったでしょう。
 かの時代?、家族絆の端的表現である
 「家族はみんな一緒に食事」 をそれはそれは大事な感じ。
 その朝夕(二食)の食卓に気まずかったのか大碓命は不参加。
 大黒柱?の父、景行帝はそれを咎(とが)めます。
 しかし、事情を知り得る景行帝は直接、大碓命を叱責せず、
 大碓命の弟、小碓命に兄の食事参加要請を委ね命じます。
 それも 「泥疑教覚」 と。
 この 「泥疑」 の読みは不明、
 「教覚」 は教え、覚(さ)ませ・覚(諭〈さと〉)せと強烈。
 父の威厳?を保ち絆復活を小碓命に委ねたのですが
 その後、5日たっても大碓命は食卓に姿を表(あらわ)しません。
 訝(いぶか)った景行帝は小碓命に尋ねます。
 それに対する小碓命の答えは
 「もうとっくに教え、覚(さ)ませ・覚(諭〈さと〉)ました」 と。
 如何(いかに)したかとの問いには
 「朝、兄の大碓命が廁(かわや=トイレ)に入るところを待ち
  いきなり彼を捕らえ、押しつぶし、枝(手足)を引き折り、
  薦(コモ=菰)に裹(つつ=包)んで投げ棄てました」 と。
 小碓命は兄を殺害しないまでも何て手荒な振る舞いを・・・・・。
 この荒振る小碓命(倭建命=やまとたけるのみこと)の
 振る舞いはこの次の展開のイントロ。
 次なる内容をちょいと先出ししますと
 彼のお歳は何と弱冠(じゃっかん)も弱冠、ローティーンなのです。
 それも決して筋骨隆々のマッチョではなく 「優男(やさおとこ)」。
 若き玉三郎も嫉妬する?程の美男子。
 前振りはこの位で止めないと・・・・・。
 次回は小碓命(倭建命)の 「熊曾」 平定のお話しに。      続く。

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