小碓命 倭姫命に衣装を所望 444
景行帝は大碓命に対する小碓命(倭建命)の振る舞いを聞き
根性の座りきり、荒々しい心情(「建荒之情」)に感服?・驚嘆し
一計を巡らします。
その謀(はかりごと)は西のかなたに住まう熊曾建兄弟征伐。
彼らは中央政権に伏さず、礼を欠いていたとの事。
(只、これってあくまでも景行帝側の身勝手な論理)
熊曾族(国)はその時代日本列島の西南領域にいらした方々。
(「古事記のイントロ 国生み」 でご確認を)
そもそもこの地は、神武帝が治め、大和に向かう出発地点。
更に、神武帝のお爺さん、山幸彦のお兄さん海幸彦(火照命)は
「火照命(此隅隼人阿多君之督)」
で大隅 (今の鹿児島) 地区の隼人とされていますので
決して仲が悪いとは思われませんが・・・・・。
これについては後々触れます。
小碓命(倭建命)は前回お話した様に
うら若きローティーンエイジャー。
わざわざ
「当比之時 其御髮結額也」 との記載は次なる展開へのイントロ。
額(ひたい)に結ったヘアースタイルは年少表現になるんですって。
しかし、どの様な髪型かは全く預かり知れません。
とってもカワイイ髪型だったって事にして先に進みます。
小碓命(倭建命)は熊曾建兄弟征伐にあたり
先ずは叔母様(倭姫命)=「拝祭伊勢大神宮」がいらっしゃる、
今年は特に式年遷宮でメジャーになった
スーパーパワーホットスポット、「伊勢神宮」に於いて
必勝祈願を行います。
又、その際、叔母様(倭姫命)により若い時にお召しになった
ヤングカジュアル衣装(「御衣御裳」)をお強請(ねだ)りします。
殿方の皆さん、決して変な想像はなさらないで下さいませ。
これが後に活躍する事になるのですから。
ここでちょいと 「拝祭伊勢大神宮」 について。
このお役目は 「斎宮(王)」 と云われています。
この制度、要は時の帝が戦勝・天下安寧等々を願い、
お身内のお嬢さんを伊勢神宮に遣わし御利益を得るが目的。
お嬢さん達にとっては大の迷惑だった筈・・・・・。
斎宮、倭姫命は2代目、
初代は倭姫命の叔母様で崇神帝のお嬢さん豊鉏入姫命。
これに関しても後々触れる事に成りますのでこれ位で。
そして、小碓命(倭建命)は
やや頼りない武器である懐刀を忍ばせ(「以剱納于御懐」)
いよいよ熊曾国へ赴くのです。 続く。
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