荒振る小碓命(倭建命) 442
大碓命は大胆不敵な性格をお持ちでなく
十中八九、容姿麗美嬢の横取りを気が気でなかったでしょう。
かの時代?、家族絆の端的表現である
「家族はみんな一緒に食事」 をそれはそれは大事な感じ。
その朝夕(二食)の食卓に気まずかったのか大碓命は不参加。
大黒柱?の父、景行帝はそれを咎(とが)めます。
しかし、事情を知り得る景行帝は直接、大碓命を叱責せず、
大碓命の弟、小碓命に兄の食事参加要請を委ね命じます。
それも 「泥疑教覚」 と。
この 「泥疑」 の読みは不明、
「教覚」 は教え、覚(さ)ませ・覚(諭〈さと〉)せと強烈。
父の威厳?を保ち絆復活を小碓命に委ねたのですが
その後、5日たっても大碓命は食卓に姿を表(あらわ)しません。
訝(いぶか)った景行帝は小碓命に尋ねます。
それに対する小碓命の答えは
「もうとっくに教え、覚(さ)ませ・覚(諭〈さと〉)ました」 と。
如何(いかに)したかとの問いには
「朝、兄の大碓命が廁(かわや=トイレ)に入るところを待ち
いきなり彼を捕らえ、押しつぶし、枝(手足)を引き折り、
薦(コモ=菰)に裹(つつ=包)んで投げ棄てました」 と。
小碓命は兄を殺害しないまでも何て手荒な振る舞いを・・・・・。
この荒振る小碓命(倭建命=やまとたけるのみこと)の
振る舞いはこの次の展開のイントロ。
次なる内容をちょいと先出ししますと
彼のお歳は何と弱冠(じゃっかん)も弱冠、ローティーンなのです。
それも決して筋骨隆々のマッチョではなく 「優男(やさおとこ)」。
若き玉三郎も嫉妬する?程の美男子。
前振りはこの位で止めないと・・・・・。
次回は小碓命(倭建命)の 「熊曾」 平定のお話しに。 続く。
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