登岐士玖能迦玖能木実 439
そのメルヘンチック物語は 「常世国より持ち帰る橘(たちばな)」。
垂仁帝は 「登岐士玖能迦玖能木実(ときじくのかくのこのみ)」 を
所望します。
後先になりますがこの登岐士玖能迦玖能木実は 「橘」 と。
「右近の橘、左近の桜」 の橘(たちばな)です。
日本書紀では 「非時香菓」 と表記されています。
「一年中香りが漂う果実」 って意味合いになると思われます。
とすると、これは果実をもぎ取らない限り2年程落果しない
「橙(代々=回青橙)」 の事を云ったのでしょう。
橙の実は黄色みの強い緑色から橙色になり
又、緑色への繰り返し。
垂仁帝が欲しがるのですからこの橘(橙)はかの時代?
とても貴重ものだったに違いありません。
又、橙は飛鳥・奈良時代では阿部橘と。
橘をこよなく愛した阿部=阿閇皇女 (後の元明帝<661~721>)
から命名されたものと考えます。
彼女の父は天智帝で持統帝とは従姉妹関係。
そしてその在りかは 「常世国(とこよのくに)」 とか。
常世国は以前 「奇妙な少名毘古那神」 で出現。
この際、常世国を
1 遥か遠い海の彼方に有るのではないかと想像した国。
2 道教ライクでは不老不死の国。
3 死して赴く国。黄泉(よみ)の国。
と考えていました。
しかし、常世国に橘(橙)が生育している訳ですから実在の国。
現在、橙の生産量№1は和歌山県(紀伊国)田辺市。
太陽が燦々と当たる海岸沿いが橙生産に適しているとの事。
とすると論理的、常世国は木国(紀伊国)に。
只、この推論ではメルヘンの 「メ」 の字もなく
「メッ」 って叱られそう。
常世国から橘(橙)を持ち帰る役目を仰せつかった方は
三宅連等の祖、多遅摩毛理(たぢまもり)。
彼は垂仁帝の命を受け
遥か遠い海の彼方に有り、
不老不死の国とも云われる常世国に
万難を排し、やっとの事で辿り着き、
登岐士玖能迦玖能木実を手に入れ、
大和に帰国しますが時既に遅く(かなりの時間経過?)
垂仁帝は崩御されていました。
多遅摩毛理は途方に暮れ、
遠路遙々(はるばる)持ち帰った(枝葉付き)橘(橙)の半分を
後妻である比婆須姫命(ひばすひめ)に差し上げ、
残る半分は垂仁帝の 「御陵戸」 に供え、もぎ取った木実を捧げ
「やっとのことで橘(橙)を持ち帰りました」 と
慟哭しながらご報告し終わるや否や
帝の不在とお仕事疲れが 「ドット」 出てなくなったとの事。
又、橘(橙)をプレゼントされた比婆須姫命が亡くなった際、
「石祝作(いわきつくり)」 と 「土師部(はにしべ)」 が
制定されたとの由。 続く。
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