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2013年8月25日 (日)

失声症快癒 肥長姫の愛 436

 出雲(いずも)に向かう三人衆達、遠い道のり。
 (そう云えば8/6進水した海自最大の護衛艦名が 「いずも」。)
 そこで、又、どのコースで行ったら良いか占います。
 結果は 「那良戸(奈良山越え)」 「大坂戸(大阪山越え)」 は凶、
 「木戸(紀伊国の真土山・待乳山越え)」 が吉に。
 最短距離を取らず迂回する事に決定。
 神武帝以来どうも 「紀伊国」 は何かにつけて良い所なのでしょう。
 やがて、一行は目指す出雲に到着。
 早速、出雲(大国主命=大物主命)大神が祀られている
 どことなく朽ちかけている社(やしろ)を手厚く参拝。
 帰途に着こうとすると
 出雲国の皆さんは遙々(はるばる)大和国から
 お越しの三人衆に 「肥河(斐伊川)」 に橋を拵(こしら)え
 仮宮までも造作し歓待。
 出雲国造の祖、「岐比佐都美(きひさつみ)」 は
 わざわざ斐伊川下に緑美しい青葉で山のオブジェを設営、
 それが見渡せるお部屋で饗応。
 すると、いきなり、本牟智和気はオブジェをご覧になり
 『あのオブジェは
   葦原色許男大神=大国主命の斎場ではないか?』
 と声を発したのです。
 この有様に曙立王・菟上王兄弟は 「聞歓見喜」。
 聞いて歓び・見て喜ぶはこの事、びっくり仰天、ビックラコ。
 やっぱり大国主命(の末裔)はお人好しでは?
 垂仁帝への夢でのご宣託、
 社(やしろ)の増改築と引き替えとして、本牟智和気の失声症快癒
 にも関わらす、増改築前に声が出る様にしてあげたのです。
 わたくし達、日本人のお人好しは決して高天原系ではなく出雲系
 の流れを受けているのやも。
 それはさて置き、
 曙立王・菟上王達は失声症快癒を垂仁帝に 「驛使(早馬)」 で
 快癒の一報を。
 この前にお二人は病気快癒の本牟智和気を
  「檳榔(蒲葵<びろう=あぢまさ>)之長穂宮」 に移送。
 さすがに仮宮での祝賀イベントは堪えられないと考えたのか?
 蒲葵の長穂で葺いたレストハウスが出雲にあった感じ。
 そしてその祝賀イベントは如何にも如何にもと思いますが
 本牟智和気に斐伊川地区で美に長けた女性との目合(まぐあい)。
 「一宿婚肥長姫」
 これって 「一宿一飯」 ってか?
 しかしながら、どうも本牟智和気は女性に疎かったのか
 それとも初めてだったのか、事に及んで怯(ひる)む始末。
 彼女のめくるめく愛の行為があろう事かまとわりつく蛇の如く感じ
  「美人者蛇也」
 とっても彼女に失礼ながらその場から逃げ出しちゃう行為に。
 これに肥長姫は怒り心頭、否、何か失礼な事をしてしまったかと
 心配し彼を追いかけます。
 さすが和風の女性、身支度に時間が掛かったのか舟での後追い。
 夜間ですので舟には「光海原」(篝火を炊き)、必至の追走。
 本牟智和気一行はほうほうの体で大和国へ到着。
 不甲斐な行為に肥長姫は
 途中で彼の心情を理解し見送ったのかも・・・・・。
 本牟智和気らは改めて垂仁帝に状況をご報告。
 垂仁帝は本人を前にして大いに歓び、
 すぐ菟上王に出雲に取って帰かせ、
 出雲大神とのお約束履行、社の増改築に当たらせたとの事。
 又、これまでの出来事から
 「鳥取部」 「鳥甘部」 「品遅部(ほむぢべ)」 「大湯坐」 「若湯坐」
 をお定めになられた由。
 『鳥捕獲職人』『鳥飼育職人』
 『本牟智和気を支える人々』
 『「大湯坐(おおゆえ)」・・・年増の乳母(保育・養育係)』
 『「若湯坐(わかゆえ)」・・・ピチギャル保育士さん』
 大湯坐・若湯坐は事情があり若くして他界した本牟智和気の母、
 沙本姫命の提言。                                  
 因みに史実で飛鳥時代に失声症を患った方が存在します。
 そのお方は天智帝の息子さんで持統帝の弟、「建(たける)皇子」。
 彼は声が戻らず僅か8歳で夭折しています。(651~658)  続く。

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