垂仁帝のご子息達と身長表記 429
垂仁帝(伊久米伊理彦伊佐知命)は師木玉垣宮にお住まい。
父、崇神帝のお住まいは師木水垣宮だからお近くだったやも。
彼は沢山の女性を愛しました。
A 佐波遅姫命(=沙本姫命)(沙本彦命之妹)からは
男 品牟都和気命
B 氷羽州姫命(旦波〈丹波〉彦多多須美知宇斯王之女)
男 印色之入彦命
男 大帯彦淤斯呂和気命(景行帝)
男 大中津彦命
女 倭姫命(拝祭伊勢大神宮)
男 若木入彦命
C 沼羽田之入姫命(其氷羽州姫命之弟)
男 沼帯別命
男 伊賀帯彦命
D 阿邪美能伊理姫命
男 伊許婆夜和気命
女 阿邪美都姫命
F 迦具夜姫命(かぐやひめ)(大筒木垂根王之女)
男 袁邪辨王
G 苅羽田刀辨(山代大国之淵之女)
男 落別王
男 五十日帯彦王
男 伊登志別王
H 苅羽田刀辨(山代大国之淵之女弟)
男 石衝別王
女 石衝姫命(=布多遅能伊理姫命)
以上、8人の奥様と16名(男13・女3)のお子様に恵まれたのです。
ここで古事記に新しい表記が出現。
次の帝、大帯彦淤斯呂和気命(景行帝)の身長と向う脛の長さが。
「御身長 一丈二寸 御脛長 四尺一寸也」
一丈=十尺=百寸。
但し、この一丈は昭和33年(1958)迄使用されていた
尺貫法の3.03m ではありません。
幾ら何でも身長3mはないでしょう?
又、ここでは 「大きい」 と表現したかった訳ではないと考えます。
この 「丈」 は 「身の丈(たけ)」 の丈。
「日本人の平均身長・平均体重の推移」 に依りますと
古墳時代で大凡、平均163㎝であったとされています。
(但し、真偽の程は不明)
しかしながら、もし身長(身の丈)を163㎝と規定すると
景行帝の身長は163×1.02≒166㎝になります。
平均身長よりやや高めと表現したかったのでしょう。
又、向う脛(ずね)の長さがわざわざ表記されているのですから
かの時代、とてもこの長さは重要だったやも知れません。
彼の向う脛の長さ (上からの推論) は約67㎝に。
向う脛は膝(ひざ)からくるぶし迄の長さ。
もしこのバランスが正しいとすると
景行帝はとても足の長いナイスな男性だったやも?
素敵な男性の登場ですが、それに合わせ
5人のナイスガイを袖にした 「迦具夜姫命」 も見参です。
云い寄る条件の良い男性のラヴコールを受けず
お仕事に邁進する現代 「女性の鏡」=かぐや姫。
彼女らがデフレ日本を駆逐するのか・・・・・。 続く。
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