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2013年6月16日 (日)

租税(調)の徴用と灌漑 427

 相津(会津)を北限として全国津々浦々の平定に成功した崇神帝。
 (前回も触れました様に山<東山道>は手付かず?)
 この事を以て彼は初めて
 男性には 「弓端(弭)之調(ゆはずのみつぎ)」、
 女性には 「手末之調(たなすえのみつぎ)」 を課したとの事。
 お爺さんは山で柴刈り、
 お婆さんは川でお洗濯風な感を否めませんが
 男は弓矢で射た鳥獣、
 女は手織り織物 (反物) が租税(「調」)として採用された事に。
 鳥獣の日保ちが気になる処ですが
 ハンドメイドの織物は租税(調)として十二分。
 何処かの時点で機(はた)織り技術が倭国に伝来していた事実。
 素材は 「絹」 と 「麻」・「綿」 の手織り生地と考えられますが
 「調」 として所望した崇神帝ですから高級素材、絹織物の筈。
 尚、天然素材、絹・麻・綿に関しましては

 「絹」ファッション(fashion)Ⅰ~
 「麻」ファッション(fashion)Ⅰ~
 「綿」ファッション(fashion)Ⅰ~ でご確認下さい。
 
 「調」=つき、その尊敬語で御調(みつぎ)。
 日本史で習った律令制での税制度、「租庸調」 の調。
 動詞のみつぐは「貢ぐ」・「見継ぐ」。
 貢ぐは力ある人が、か弱い人に衣食・金品を贈る事。
 見継ぐは見続ける・見届ける事。
 要は力量・余裕・下心を保持する方が相手に恵み・施し・贈る事。
 それが、何処かでフュージョン、逆になり、
 力量ある方が、
 か弱き方々からものを納めさせる構造改革を断行。
 これが 「調」 =租税制度の始まり。
 現在に置いてもこの構造は続行中なのです。
 この租税制度を確立した事により
 崇神帝は 「初国之御真木天皇」 と命名されたと。
 又、崇神帝の世に 「依網池」・「軽之酒折池」 を築造。
 この池は庭園に造作する風情ある 「お池」 ではなく
 「水」 を確保する潅漑用水の 「溜め池」 と考えると
 既に、かの時代、農耕が行われていた事になるのです。
 只、古事記には 「作」 ったと記載されているのみで
 何の為には記述されていません。
 まさか暑い夏の 「水浴び・避暑」 用とは思えませんが・・・・・。
                                                                 続く。

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