« 若き乙女=腰裳少女の伝言 424 | トップページ | 崇神帝 相津(会津)が日本の北限 426 »

2013年6月 2日 (日)

乙女腰裳の時代変遷 425

 伊杼美 ⇒ 伊豆美地区で勝利をおさめた大彦命は大和に引き返し
 崇神帝に報告、その足で初期の目的である北陸道へ遠征。
 ところで、前回触れなかった腰裳を纏った、うら若き女性(「少女」)
 の件にお約束通り戻ります、
 腰裳は腰に着けた 「裳」 でその時代の服アイテムの一つ。
 只、この 「その時代が曲者」。
 先ず、これまでの古事記で出現した 「裳」 表記を抽出してみます。
 とは云うものの、今回登場の 「服腰裳少女」 以外に
 一箇所しかないのです。
 その箇所は 「天照大御神の甦生」 で紹介しました
 「裳緒忍垂於番登也」。
 こちらの状況は 「天宇受賣命のタップダンスショー」 をご覧あれ。
 この天宇受賣命が着(つ)けていた 「裳」 はボトム(下衣)。
 基本的には現代のスカート風アイテムと考えられます。
 そのスカート風なものは 「紐」 で腰に固定する仕様だった筈。
 古事記の時代設定では 「この裳」 時代は紀元前の遠ーい昔。
 それから時代が下り崇神帝の 「腰裳」 時代。
 古事記執筆者はどの様なボトムをイメージしていたのでしょう?
 現存するものでこれらを確認できるのは 「埴輪」。
 「埴輪 盛装(着飾った)の女子」 (国立博物館所蔵)
 「埴輪 腰かける巫女」 (国立博物館所蔵)
 両方とも古墳時代・6世紀と説明・注釈されています。
 盛装の女子はミディフレアースカート、
 腰かける巫女はワンピー+レギンス。
 「腰かけ巫女」 は3年前のカジュアルファッションで現代風?
 それはさておき、
 「盛装女子」 のこのボトムが 「裳」 になるのでしょう。
 次に崇神帝時代の腰裳もこんな感じだったなら
 古事記原作者は腰裳よりも 「服腰裳少女」 から少女=乙女に
 ウエイトを置いたのかも。
 うら若き乙女が高貴な大人が着ける 「裳」 を着用していた事を
 表現したかったのではないでしょうか。
 因みに、古事記と同時代作成と措定された「高松塚古墳」 の壁画
 (国営 飛鳥歴史公園 高松塚古墳 石室・壁画)
 こちらの裳は
 補色ストライプのフレアーロングスカートで描かれています。
 こちらの女性達はやや年増飛鳥美人の皆さん。
 これらの時代からスカート丈は年齢基準???に。
 否、生理年齢がお若くないとミニスカートは綺麗に見えない?
 更に時代が下り、世も平安な時代の裳
 ボトムのオシャレアップアイテムに変わってしまうのです。
                                                                続く。

|

« 若き乙女=腰裳少女の伝言 424 | トップページ | 崇神帝 相津(会津)が日本の北限 426 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 若き乙女=腰裳少女の伝言 424 | トップページ | 崇神帝 相津(会津)が日本の北限 426 »