若き乙女=腰裳少女の伝言 424
崇神帝の諸国制圧の様子を
きっと以て端折って描かれているのでしょう?
読んでみましょう。
崇神帝の命により、
大彦命は北陸地方(「高志道」)へ、又、彼の息子の
建沼河別命は大和より東の12諸国(「東方十二道」)へ出陣
「麻都漏波奴(まつろはぬ=崇神帝に叛旗を翻す)人等(輩)」 を
粉砕・服従させた。
彦坐王(ひこいますのみこ)を丹波国(「旦波國」)へ遣わし
その国のリーダー、玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を殺害。
取って返して
大彦命の北陸制圧の詳細が語らている筈と思いきや。
古事記の展開通りに進めると
大彦命は大和国から出発、「山代(山城国)之幣羅坂」 で
(幣羅坂・・・京都府木津川市市坂幣羅坂に当たるのか?)
腰裳を纏ったうら若き女性(「少女」)に出会(くわ)すのです。
(腰裳の件は後程。)
更に、何と彼女は和歌を朗詠しているのです。
その和歌の内容は
古波夜 (こはや)
美麻紀伊理毘古波夜 (みまきいりひこはや)
美麻紀伊理毘古波夜 (みまきいりひこはや)
意能賀袁袁 (おのがを〈命〉を)
奴須美斯勢牟登 (ぬすみしせむと)
斯理都斗用 (しりつとよ)
伊由岐多賀比 (いゆきたがひ)
麻幣都斗用 (まへつとよ)
伊由岐多賀比 (いゆきたがひ)
宇迦迦波久 (うかかはく)
斯良爾登 (しらにと)
美麻紀伊理毘古波夜 (みまきいりひこはや)
美麻紀伊理毘古=御真木入彦(日子)=崇神帝。
「崇神帝さん貴男の命を盗もうとしている方がいらっしゃいますよ」
とのこれはメッセージソングなのです。
大彦命は彼女の前をすげなく通り過ぎるも歌を怪訝に思い
(馬を)取って返し、彼女に聞き及びます。
「貴女は一体何て云っているの」 と。
うら若き乙女(「少女」)はその問いに答えます。
「わたくしは何も知りません。
唯、耳にした歌を口ずさんでいるだけですよ」 と。
そうこうする内に彼女は何処かに姿を隠してしまったのです。
大彦命はなお一層不可思議に思い、大和へ急ぎ還りこの一件を
崇神帝に参上・ご報告。
すると崇神帝は心当たりがあったらしく
「山城国にいるわたくしの庶兄、建波邇安王(たけはにやすのみこ)
が邪心を起こしたかも。
伯父さん(大彦命)、ここは一つ彼を討伐(「興軍」)願います」
とおっしゃり、早速、丸邇臣(わにのおみ)之祖である
日子国夫玖命(ひこくにぶくのみこと)を副え遣わせ同行軍させた。
その際、
軍団は丸邇坂で 「忌瓮=斎瓮(いわいべ・いんべ)」 儀式を。
瓮(へ)は祭祀に用いるお酒を入れた容器(瓶)ですので
戦勝祈願を祈る行為と思われますが、
軍団の皆さんにこの神酒を振る舞いこれからの戦闘恐怖心を
和らげ・紛らわす事が目的だったのではないかと?
ほろ酔いは理性を失わせる効能が・・・・・。
崇神帝の予想が的中、案の定、
建波邇安王軍は
山城国の 「和訶羅河(わからがわ)」 で待ち伏せ。
河を挟んで両軍対置する事に。
ここでこの地区名の謂(い)われになり、
両軍挑み(いどみ)あった事から 「伊杼美」 と。
古事記執筆時代では 「伊豆美(いずみ)」 との事。
この後、両軍勢い正面激突と思いきや、さにあらず、
日子国夫玖命はこの時代の戦闘文化?であったのか
戦闘突入前の儀式、「忌矢(いわいや)」 の交換を提案。
先ずは建波邇安王が大彦命・日子国夫玖命軍に矢を射かけ
お次は日子国夫玖命が建波邇安王軍に射かける事に。
その結果は建波邇安王が不幸にも不的中、
日子国夫玖命の矢は運良く建波邇安王に心の臓に大的中。
建波邇安王は敢え無く一命を落とします。
建波邇安王軍団はリーダーを失い散り散りに逃避状況。
あっけなく勝敗が決してしまうのです。 続く。
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