古事記の崇神帝についての記述で
ファッションに関する画期的な表記が出現。
又於宇陀墨坂神
祭赤色楯矛
又於大坂神
祭黒色楯矛
ここでの 「赤色楯矛」 と 「黒色楯矛」 の箇所。
明確に赤色・黒色と記載されています。
ここの件(くだり)、
以前にも確かに「赤」・「黒」の表記が存在します。
取り急ぎそれらをピックアップしてみます。
於腹者黒雷居
伊邪那美命の黄泉の国でのお姿。
「土に還る伊邪那美命の姿」 で。
黒光りの雷さん。
爾伊邪那岐命取黒御鬘投棄
「黄泉の国からの脱出劇」 で。
伊邪那岐命の髪飾り、黒蔓(つる)草。
彼目如赤加賀智而
「梅原猛さんの八岐大蛇読み」 で。
八岐大蛇の目の色が鬼灯(ほおずき)様と。
赤猪在此山
「赤猪ハグする大穴牟遲(大国主神)」 で。
大穴牟遲(大国主神)への虐めシーン、赤猪。
以牟久木實與赤土
「二人の愛に降参の須佐之男命」 で。
須佐之男命の試練に気転を利かす須世理姫の赤土作戦。
頃者赤海鯛魚(鯛は魚偏に即)
「玉手箱でなく塩盈珠・塩乾珠の贈り物」 で。
火遠理命=山幸彦が失った鉤を飲み込んでいた赤海鯛魚。
坐黒田廬戸宮
「綏靖帝~開化帝 8代簡素血縁履歴」 で。
大倭根子日子賦斗邇命(孝霊帝)のお住まい黒田廬戸宮。
以上がこれまで出現した 「赤・黒」 表記に。
二つの形容詞は幻想・植物・動物・自然・魚・耕作地に
かかっています。
しかし、「赤色楯矛・黒色楯矛」 は楯矛の色説明。
楯矛は人が作り出した道具。
その道具に彩色しているのです。
そして選択した色(カラー)は赤と黒。
崇神帝の根拠地は 「師木水垣宮」。
師木=磯城(しき)は現在の奈良県桜井市金屋とされています。
この地区を基点とすると
宇陀墨坂神(奈良県宇陀市榛原区)は東の位置になり、
大坂神(奈良県香芝市)は西の位置に当たります。
東西の幹線街道を押さえる場所に両社を配置していた事に。
ここで 「(陰陽)五行説」 の東西南北の配当色をご覧下さい。
「五行説の五行配当模様」
東は青色、西は白色となっています。
因みに、赤色は南、黒色は北に配当されています。
次に、「五行説の五神と五虫」 を。
東は蒼龍、西は白虎、南は朱鳥、北は玄武が各々の守り神。
従って、赤色楯矛は東、黒色楯矛は西に奉納していますから
一見、(陰陽)五行説に則っていない様になります。
しかしながら、奈良時代初期には既にこの説の知見がありました。
( 高松塚・キトラ古墳の壁画に蒼龍・朱鳥・白虎・玄武の絵が。)
然らば、この赤色楯矛・黒色楯矛の意味合いは
東の墨坂神には「東・南(赤)」、西の大坂神には「西・北(黒)」
方面からの外敵備え担当をさせたと考えれば解決するのでは?
続く。
尚、黒との表記でありませんが 「久路(くろ)岐美祁斯遠」 が。
黒い衣装との表現は 「大国主神の拙い云い訳」 で。