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2013年4月28日 (日)

鉤穴通 麻糸 三勾・美和・三輪神 420

 「容姿端正」 美貌の持ち主、活玉依姫と
 「形姿威儀」 天下随一イケメン、「神壮夫(大物主大神)」 の
 命倶楽部、恋愛ゲーム。
 そんな素敵な箇所の古事記原文です。
 
此謂意富多多泥古人
所以知神子者
上所云活玉依毘賣
其容姿端正
於是有神壯夫
其形姿威儀
於時無比
夜半之時
倏忽到來 〈倏の犬は火〉
故相感
共婚共住之間
未經幾時
其美人妊身
爾父母怪其妊身之事
問其女曰
汝者自妊
無夫
何由妊身乎
答曰
有麗美壯夫
不知其姓名
毎夕到來
共住之間
自然懷妊
是以其父母
欲知其人
誨其女曰
以赤土散床前
以閇蘇此(二字以音)
紡麻貫針
刺其衣襴
故如教而
旦時見者
所著針麻者
自戸之鉤穴控通而出
唯遺麻者
三勾耳
爾即知自鉤穴出之状而
從糸尋行者
至美和山而
◯神社
故知其神子
故因其麻之三勾遺而
名其地謂美和也(此意富多多泥古命者 神君 鴨君之祖)

 読み解きは来週に。                                         続く。

 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書古事記中下巻P25の14行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

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2013年4月21日 (日)

赤色楯矛と黒色楯矛の暗喩 419

 古事記の崇神帝についての記述で
 ファッションに関する画期的な表記が出現。

又於宇陀墨坂神
赤色楯矛
又於大坂神
黒色楯矛

 ここでの 「赤色楯矛」 と 「黒色楯矛」 の箇所。
 明確に赤色・黒色と記載されています。
 ここの件(くだり)、
 以前にも確かに「赤」・「黒」の表記が存在します。
 取り急ぎそれらをピックアップしてみます。

於腹者雷居
 伊邪那美命の黄泉の国でのお姿。
 「土に還る伊邪那美命の姿」 で。
 黒光りの雷さん。

爾伊邪那岐命取御鬘投棄
 「黄泉の国からの脱出劇」 で。
 伊邪那岐命の髪飾り、黒蔓(つる)草。

彼目如加賀智而
 「梅原猛さんの八岐大蛇読み」 で。
 八岐大蛇の目の色が鬼灯(ほおずき)様と。

猪在此山
 「赤猪ハグする大穴牟遲(大国主神)」 で。
 大穴牟遲(大国主神)への虐めシーン、赤猪。

以牟久木實與
 「二人の愛に降参の須佐之男命」 で。
  須佐之男命の試練に気転を利かす須世理姫の赤土作戦。

頃者海鯛魚(鯛は魚偏に即)
 「玉手箱でなく塩盈珠・塩乾珠の贈り物」 で。
 火遠理命=山幸彦が失った鉤を飲み込んでいた赤海鯛魚。

田廬戸宮
 「綏靖帝~開化帝 8代簡素血縁履歴」 で。
 大倭根子日子賦斗邇命(孝霊帝)のお住まい黒田廬戸宮。

 以上がこれまで出現した 「赤・黒」 表記に。
 二つの形容詞は幻想・植物・動物・自然・魚・耕作地に
 かかっています。
 しかし、「赤色楯矛・黒色楯矛」 は楯矛の色説明。
 楯矛は人が作り出した道具。
 その道具に彩色しているのです。
 そして選択した色(カラー)は赤と黒。
 崇神帝の根拠地は 「師木水垣宮」。
 師木=磯城(しき)は現在の奈良県桜井市金屋とされています。
 この地区を基点とすると
 宇陀墨坂神(奈良県宇陀市榛原区)は東の位置になり、
 大坂神(奈良県香芝市)は西の位置に当たります。
 東西の幹線街道を押さえる場所に両社を配置していた事に。
 ここで 「(陰陽)五行説」 の東西南北の配当色をご覧下さい。
 「五行説の五行配当模様」
 東は青色、西は白色となっています。
 因みに、赤色は南、黒色は北に配当されています。
 次に、「五行説の五神と五虫」 を。
 東は蒼龍、西は白虎、南は朱鳥、北は玄武が各々の守り神。
 従って、赤色楯矛は東、黒色楯矛は西に奉納していますから
 一見、(陰陽)五行説に則っていない様になります。
 しかしながら、奈良時代初期には既にこの説の知見がありました。
 ( 高松塚・キトラ古墳の壁画に蒼龍・朱鳥・白虎・玄武の絵が。)
 然らば、この赤色楯矛・黒色楯矛の意味合いは
 東の墨坂神には「東・南(赤)」、西の大坂神には「西・北(黒)」
 方面からの外敵備え担当をさせたと考えれば解決するのでは?
                                                                 続く。

 尚、黒との表記でありませんが 「久路(くろ)岐美祁斯遠」 が。
 黒い衣装との表現は 「大国主神の拙い云い訳」 で。

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2013年4月14日 (日)

大物主神の末裔 意富多多泥古の登場 418

 崇神帝が国を治めた時代は 「疫病」 が蔓延、多くの犠牲者を
 発生させることになったとか。
 但し、この疫病の原因は
 崇神帝、或いは、崇神帝のご先祖様の諸行にあった感じ。
 崇神帝の夢見に 「大物主神」 が現れ、彼の仰せは
 この疫病は 「我之御心」 が為せる業と。
 その昔、
 貴男(或いは、貴男のご先祖)に心ならずも屈服させられた
 怨念が今現在、疫病と化して祟っているとの事。
 大国主神の意志を受け継ぐ大物主神。
 取り分け、大物主神は大国主神の化身なのでしょう。

 大物主神に関しましては
 「大物主神=大国主神が登場」
 「容姿麗美な勢夜陀多良姫」  でご確認下さい。

 そして、この疫病払拭・天下泰平(「国安平」)となる条件は
 わたくしの(大物主神)の末裔、意富多多泥古(おほたたねこ)を
 捜し出し、かのものにわたくしの魂を祀りねぎらわせる事と。
 身に覚えがある、或いは、聞き及んでいる崇神帝は
 早速、方々に馬を使わし意富多多泥古の捜索命令。
 やがて多泥古は大和国の隣、河内国の美努村(「河内之美努村」)
 に存在する情報が。
 即、崇神帝は多泥古を手厚く、大和国に呼び寄せ
 多泥古の素性をお聞きなるのです。
 かのものは厳かにお答えします。わたくしは、
 大物主大神と活玉依姫の子の、
 櫛御方命(くしみかたのみこと)、その子息、
 飯肩巣見命(いいかたすみのみこと)の息子、
 建甕槌命(たけみかづちのみこと)の子供なのですと。
 (意富多多泥古は大物主大神の5代目)
 多泥古のご先祖様が
 大物主大神と聞き及んだ崇神帝は欣喜雀躍。
 これで 「天下泰平・人民栄華(「天下平人民栄」)」。
 崇神帝は意富多多泥古を 「神主」 とされ
 「御諸山(みもろやま)〈神が鎮座する山〉」 に
 「意富美和(おほみわ=大三輪)之大神」 の御霊を
 祀らせたのでした。
 更に、崇神帝はこれでも足りないと考えたのか
 それ迄の神々(天神地祇〈てんじんちぎ〉)の社(やしろ)を定め
 各々祀らせ、
 更に更に、
 宇陀の墨坂神には 「赤色楯矛」 を奉納
 大坂の神には 「黒色楯矛」 を奉納し祭らせ、
 それでも不安だったのか
 八百万、山・川の自然神 (「坂之御尾神・河瀬神) 迄にも
 幣帛 (神々に捧げる貢ぎ物) を奉る始末。
 これらにより漸く神々の怒りが収まり 「国家安平」 になったとか。
                                                                  続く。

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2013年4月 7日 (日)

崇神帝のお子様は六男六女 417

 御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)=崇神帝。
 彼のお住まいは師木水垣宮(しきのみずかきのみや)。
 三人の奥様方からは計12名のお子様達が誕生。
 しかしちょいと変なのです。
 そこはくだり 「并十二柱(男王七 女王五也)」。
 男の子が7人でお嬢さんが5人と記されています。
 確かめて見ると

 遠津年魚目目微姫から
男 豊木入彦命 〈上毛野君・下毛野君等の祖〉
女 豊鉏入姫命 〈拝祭伊勢大神之宮〉

 意富阿麻姫からは
男 大入杵命 〈能登臣の祖〉
男 八坂之入彦命
女 沼名木之入姫命
女 十市之入姫命

 御真津姫命が送り出したのは
男 伊玖米入日子伊沙知命 (垂仁帝)
男 伊邪能真若命
女 国片姫命
女 千千都久和(此三字以音)姫命
女 伊賀姫命
男 倭彦命

 上からお分かりの様に 「六男六女」 で絶妙なバランス。
 古事記原作者が単純員数ミスをするとは考えにくいので
 女性の中のお一人が 「性転換」 をなさったのやも。
 日本書紀から消去法でこの大胆な女性は 「伊賀姫命」 に。
 柔(やわ)な男性を凌ぐ女性はかの時代が魁(さきがけ)。
 「大胆不敵・豪放磊落・天真爛漫」
 こんな形容では全く足りませんこと。
 かような女性は性転換しないまでも以前に登場しています。

 「王羲之と藤三娘の心意気」 光明皇后・孝謙(称徳)帝
 「美夜受比売と日本武尊」 美夜受姫
 「古事記の時代の大らかさ」 美夜受姫
 「奈良朝の心意気(大胆不敵)」 吉祥天女
 「古事記 お二人のささやき合い」 伊邪那美命
 「天照大神奪還作戦メンバー再登場」 天宇受女命
 
 お時間をお作り頂き是非ともご一読を。
 豊鉏入姫命の伊勢神社斎宮は別の機会に。         続く。

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