大物主神の末裔 意富多多泥古の登場 418
崇神帝が国を治めた時代は 「疫病」 が蔓延、多くの犠牲者を
発生させることになったとか。
但し、この疫病の原因は
崇神帝、或いは、崇神帝のご先祖様の諸行にあった感じ。
崇神帝の夢見に 「大物主神」 が現れ、彼の仰せは
この疫病は 「我之御心」 が為せる業と。
その昔、
貴男(或いは、貴男のご先祖)に心ならずも屈服させられた
怨念が今現在、疫病と化して祟っているとの事。
大国主神の意志を受け継ぐ大物主神。
取り分け、大物主神は大国主神の化身なのでしょう。
大物主神に関しましては
「大物主神=大国主神が登場」
「容姿麗美な勢夜陀多良姫」 でご確認下さい。
そして、この疫病払拭・天下泰平(「国安平」)となる条件は
わたくしの(大物主神)の末裔、意富多多泥古(おほたたねこ)を
捜し出し、かのものにわたくしの魂を祀りねぎらわせる事と。
身に覚えがある、或いは、聞き及んでいる崇神帝は
早速、方々に馬を使わし意富多多泥古の捜索命令。
やがて多泥古は大和国の隣、河内国の美努村(「河内之美努村」)
に存在する情報が。
即、崇神帝は多泥古を手厚く、大和国に呼び寄せ
多泥古の素性をお聞きなるのです。
かのものは厳かにお答えします。わたくしは、
大物主大神と活玉依姫の子の、
櫛御方命(くしみかたのみこと)、その子息、
飯肩巣見命(いいかたすみのみこと)の息子、
建甕槌命(たけみかづちのみこと)の子供なのですと。
(意富多多泥古は大物主大神の5代目)
多泥古のご先祖様が
大物主大神と聞き及んだ崇神帝は欣喜雀躍。
これで 「天下泰平・人民栄華(「天下平人民栄」)」。
崇神帝は意富多多泥古を 「神主」 とされ
「御諸山(みもろやま)〈神が鎮座する山〉」 に
「意富美和(おほみわ=大三輪)之大神」 の御霊を
祀らせたのでした。
更に、崇神帝はこれでも足りないと考えたのか
それ迄の神々(天神地祇〈てんじんちぎ〉)の社(やしろ)を定め
各々祀らせ、
更に更に、
宇陀の墨坂神には 「赤色楯矛」 を奉納
大坂の神には 「黒色楯矛」 を奉納し祭らせ、
それでも不安だったのか
八百万、山・川の自然神 (「坂之御尾神・河瀬神) 迄にも
幣帛 (神々に捧げる貢ぎ物) を奉る始末。
これらにより漸く神々の怒りが収まり 「国家安平」 になったとか。
続く。
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