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2013年3月31日 (日)

崇神帝と意富多多泥古の登場 416

 いよいよ崇神帝の時代へ。
 ここでは大物主大神の末裔、意富多多泥古(おおたたねこ)が
 登場します。先ずはその箇所の古事記原文を。

御眞木入日子印惠命
坐師木水垣宮
治天下也
此天皇
娶木國造名荒河刀辨之女(刀辨二字以音)
遠津年魚目目微比賣
生御子
豐木入日子命
次豐鉏入日賣命(二柱)
又娶尾張連之祖
意富阿麻比賣
生御子
大入杵命
次八坂之入日子命
次沼名木之入日賣命
次十市之入日賣命(四柱)
又娶大毘古命之女
御眞津比賣命
生御子
伊玖米入日子伊沙知命(伊久米伊沙知六字以音)
次伊邪能眞若命(自伊至能以音)
次國片比賣命
次千千都久和(此三字以音)比賣命
次伊賀比賣命
次倭日子命(六柱)
此天皇之御子等
并十二柱(男王七 女王五也)
故伊久米伊理毘古伊佐知命者
治天下也
次豐木入日子命者(上毛野君 下毛野君等之祖也)
妹豐鉏比賣命者(拜祭伊勢大神之宮也)
次大入杵命者(能登臣之祖也)
次倭日子命(此王之時 始而於陵立人垣)
此天皇之御世
疫病多起
人民死
爲盡
爾天皇愁歎而
坐神牀之夜
大物主大神
顯於御夢曰
是者我之御心
故以意富多多泥古而
令祭我御前者
神氣不起國安平
是以驛使班于四方
求謂意富多多泥古人之時
於河内之美努村
見得其人貢進
爾天皇
問賜之汝者誰子也
答曰
僕者大物主大神
娶陶津耳命之女
活玉依毘賣
生子
名櫛御方命之子
飯肩巣見命之子
建甕槌命之子
僕意富多多泥古白
於是天皇大歡以
詔之天下平人民榮
即以意富多多泥古命
爲神主而
於御諸山拜祭意富美和之大神前
又仰伊迦賀色許男命
作天之八十毘羅訶(此三字以音也)
定奉天神地祇之社
又於宇陀墨坂神
祭赤色楯矛
又於大坂神
祭黑色楯矛
又於坂之御尾神
及河瀬神
悉無遺忘
以奉幣帛也
因此而役氣悉息
國家安平也

 読み解きは来週に。                                         続く。

 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書古事記中下巻P23の11行目で
 確認可能ですので是非ご覧下さい。

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2013年3月24日 (日)

神武帝と天武帝の陵墓は極めて近接 415

 宮内庁ご指定、神武帝陵墓は橿原市大久保町。
 そして 天武帝・持統帝陵墓は高市郡明日香村。
 この二つの帝陵墓はおよそ直線距離にして6㎞ほどなのです。
 宮内庁ご提供の 「天皇陵 奈良エリア4」 をご覧下さい。
 一番北、畝傍山02綏靖帝から南に向かって
 01神武帝 ⇒ やや南南東寄りに08孝元帝 ⇒
 更に南に下り29欽明帝(509?~571) ⇒ この東サイドに
 40天智帝(?~686)・41持統帝(645~702) ⇒
 そして南に最後はお二人のお孫さん
 42文武帝で締めくくっています。
 持統帝(鸕野讚良〈うののさらら〉さん)につきましては
 「高貴(あて)なる紫色」
 「女帝・女系 姓名無し?」
  「日の巫女、天照大御神」
 「神話、古事記を紐解くと」
 「木花之佐久夜姫と石長姫」
 「病気を癒す薬師如来像」
 「現世ご利益、薬師如来像」
  「大日如来像は天照大神」
  「建御名方神の登場」
 「「絹」ファッション(fashion)Ⅰ」
 等々で触れていますのでお時間が許せばご覧下さいませませ。
 歴女・歴男・若いお嬢さん達の皆様
 ファッション文化はとても奥床しく奥深いものがあるでしょう?
 必ずや訪れて下さる 「桜の季節」 (今年は概して早め)。
 この春休みに吉野のお山にでもお出かけになってはいかが?
 「記紀・万葉プロジェクト」 でイベントも。                
 さて、次週から古事記読みを進め、さっぱり系ではなく
 ドラマティックに展開する 「崇神帝」 にいよいよ突入します。
                                     続く。

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2013年3月17日 (日)

美しい前方後円墳に眠る20帝 414

 美しい前方後円墳に眠る20帝のお話をしましたので、勢い間接的に
 古事記・日本書紀を記述する様命じられた40天武帝までの
 御陵の陵形を先取りして記してみます。

01 神武帝 円丘
02 綏靖帝 円丘
03 安寧帝 山形
04 懿徳帝 山形
05 孝昭帝 山形
06 孝安帝  円丘
07 孝霊帝 山形
08 孝元帝 前方後円
09 開化帝 前方後円

10 崇神帝 前方後円
11 垂仁帝 前方後円
12 景行帝 前方後円
13 成務帝  前方後円
14 仲哀帝  前方後円
15 応神帝  前方後円
16 仁徳帝  前方後円
17 履中帝  前方後円
18 反正帝  前方後円
19 允恭帝  前方後円
20 安康帝 方丘
21 雄略帝 円丘
22 清寧帝 前方後円
23 顕宗帝 前方後円
24 仁賢帝 前方後円
25 武烈帝 山形

26 継体帝 前方後円  (?~527 or 531)
27 安閑帝 前方後円  (?~539)
28 宣化帝 前方後円 (467~539)
29 欽明帝 前方後円 (509?~571)
30 敏達帝 前方後円 (?~585)
31 用明帝 方丘         (?~587)
32 崇峻帝 円丘         (?~592)
33 推古帝 方丘         (554~628)
34 舒明帝 上円下方  (593?~571)
35 皇極帝 円丘         (594~661)
36 孝徳帝 円丘         (596?~654)
37 斉明帝 円丘         (594~661)
38 天智帝 上円下方  (626~671)
39 弘文帝 円丘         (648~672)
40 天武帝 円丘         (?~686)

 只、前回も申し上げましたがあくまでもこれらは宮内庁偉いさんの
 方々がお決め下さった点を呉々もお忘れなく。
 美しい前方後円墳に葬られた最初の帝は08孝元帝。
 この帝の末裔には 「稲置・宿禰の姓が出現」 で紹介しました様に
 建内宿禰(武内宿禰)を始め数多の宿禰を輩出しています。
 これって何か示唆しているのではないかと思われません?
 08孝元帝以降19允恭帝まで12代に渡り陵形が前方後円墳時代。
 途中途切れますが、
 26継体帝から最後の30敏達帝までも5代前方後円墳が続きます。
 そして、何故か30敏達帝(?~585)を以てして終わるのです。
 31用明帝(?~587)の崩御とは僅か2年の差しかありませんので
 前方後円墳をお止めになる
 何らかのご事情があったと容易に推測されます。       続く。

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2013年3月10日 (日)

前方後円墳の造形美 413

 今回は1神武帝~9開化帝までの御陵を整理してみました。
 取り急ぎご覧下さい。

1神武帝 畝火山之北方白檮尾上 橿原市大久保町 円丘
2綏靖帝 衝田岡 橿原市四条町 円丘
3安寧帝 畝火山之美富登 橿原市吉田町 山形
4懿徳帝 畝火山之真名子谷上 橿原市西池尻町 山形
5孝昭帝 掖上博多山上 御所市大字三室 山形
6孝安帝 玉手岡上 御所市大字玉手 円丘
7孝霊帝 片岡馬坂上 北葛城郡王寺町本町 山形
8孝元帝 剣池之中岡上 橿原市石川町 前方後円
9開化帝 伊邪河之坂上 奈良市油阪町 前方後円

 9代の帝の内、4名の帝の御陵が「畝火山⇒橿原市」 に存在。
 但し、御陵の所在地は 「宮内庁」 がお決め下さっています。
 然るにあくまでもそれを前提としての展開です。
 寒かった先月奈良県桜井市にある 「箸墓古墳」
 130年振りに民間考古学者の立ち入りが許され話題になりました。
 宮内庁はこのお墓を
 7孝霊帝のお嬢さん、夜麻登登母母曾姫命=倭迹迹日百襲姫命
 と規定していますが一説では 「卑弥呼」 の墓ではないかとも。
 真相はプロにお任せいたしますので宜しく。
 そこで先ず、宮内庁作成の 「天皇陵」 のページをご覧下さい。
 1神武帝~124昭和天皇の御陵の詳細?が記載されています。
 わたくしども ZIPANGU はファッション・文化の語りが専門
 ですのでその観点からですとどうしても御陵の 「形」 に注目。
 宮内庁では 「陵形」 として記されています。
 その陵形の種類は
 円丘・円形・山形・前方後円・方丘・方形・八角丘・上円下方。
 (お堂・塔を除く)
 陵形は圧倒的に円丘がトップの座を占めています。
 但し造形美的には何と云っても 「前方後円墳」 では。
 円(丘)と方(丘)〈台形〉が合体された御陵の美しさ。
 天を侵(おか)さず、横繋がりの和合形。
 ここにも八百万の神々を慈しむ日本人の感性が綻んでいます。
 そんな前方後円墳に眠る帝のトップは
 8孝元帝で最後は30敏達帝。
 124名の内、20名の帝がこの前方後円墳に葬られています。
 手前が台形になっていて奥の円丘に棺が安置されている所から
 前方後円墳と。
 お江戸時代の儒者、蒲生君平(1768~1813)さんが
 著書、「山陵志」 でこの陵形を 「前方後円」 と命名されたとの事。
                            続く。

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2013年3月 3日 (日)

建内宿禰=武内宿禰のご子息 412

 建内宿禰=武内宿禰のご子息達はメジャーなご先祖さん達。

 波多八代宿禰は
 波多臣
 林臣
 波美臣
 星川臣
 淡海臣
 長谷部(はつせべ)君

 許勢小柄宿禰は
 許(巨)勢臣
 雀部(さざきべ)臣
 軽部臣

 蘇賀(我)石河(川)宿禰は
 蘇賀(我)臣
 川辺臣
 田中臣
 高向(たかむく)臣
 小治田(おはりだ)臣
 桜井臣
 岸田臣

 平群都久宿禰は
 平群(へぐり)臣
 佐和良臣
 馬御樴(うまのみくひ)連
 
 木(紀)角宿禰は
 木(紀)臣
 都奴(つぬ)臣
 坂本臣

 葛城長江曾都彦は
 玉手臣
 的(いくは)臣
 生江(いくえ)臣
 阿芸那(あぎな)臣

 若子宿禰は
 江野財臣

 上記中で一番のメジャーは何と云っても蘇我臣。
 先月9日に 「蘇我馬子邸は宮殿並み?」(TOKYO Web)
 蘇我馬子邸とされる奈良県明日香村の島庄遺跡から
 1m以上の柱穴八基が確認されたとの事。
 蘇我馬子のお姉さんと妹さん、
 堅塩媛(きたしひめ)小姉君(おあねのきみ)は29 欽明帝の奥様。
 堅塩媛は31用明帝と33推古帝をこの世に。
 小姉君は32崇峻帝を。
 又、馬子のご子息は蘇我蝦夷・蘇我倉麻呂ら
 そしてお嬢さん達は
 河上娘(かわかみのいらつめ)・・・32崇峻帝の奥様
 刀自古郎女(とじこのいらつめ)・・・聖徳太子の奥様
 法提郎女(ほていのいらつめ)・・・34 舒明帝の奥様
 とされています。
 それは・それはかの時代、蘇我氏は華麗なる一族だったのです。
                                                                続く。

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