古代は末子相続だったやも 406
前回紹介した
神倭伊波礼彦(神武帝)と伊須気余理姫(正妻?)とのご子息の
三男坊(末子)、建(神)沼河耳命が帝位を継いだお話し。
長子相続(何故か長女は長子と見なされない)は明治時代に制定
された 「民法」 規定。
又、皇(帝)位も長子相続(明治時代制定の皇室典範)
この長子相続、大戦後は長子相続の規定は外されるも
長子相続の風習は世で保持される事に。
故に、古事記の末子相続に違和を感じるとは思いますが
どっこい、古代は基本的に末子相続が自然だった感じ。
因みに、
建(神)沼河耳命(綏靖帝)の父・神倭伊波礼彦(神武帝)も
末子相続(ま〈ば〉っしそうぞく)をしているのです。
「神倭伊波礼毘古命(神武帝) 誕生」 ご覧下さい。
神倭伊波礼毘古命(神武帝)は
豊玉姫と火遠理命(山幸彦)の一人息子、
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と玉依姫(豊玉姫の妹)との
末っ子、四男坊なのです。
更に、「木花之佐久夜姫、三人の男子を出産」 をご確認!
火遠理命(山幸彦)は
木花之佐久夜姫と邇邇芸命との
末っ子、三男坊!
更に、更に、「色香漂う天宇受女命の再登場」 を!!
邇邇芸命は
万幡豊秋津師姫命と正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命との
末っ子、次男坊!!
ちょいと、「建速須佐之男命 V.S. 天照大御神」 に目を。
天之忍穗耳命は
天照大御神と須佐之男命との末っ子ではなく
彼のみ長男坊なのです。
表向き 「宇気比(祈請=うけい)」 は
神に祈り、吉凶を占う事とされていますが、
どっこい、真実は天照大御神と須佐之男命との 「近親命倶楽部」。
お二人の愛の結晶である天之忍穗耳命なのです。
あくまでも、此処だけのお話ですよ! 「しーっ。」
たぶん、
天之忍穗耳命も末っ子だったのでは勘ぐりたくなる・・・・・。
とは云うものの古事記表記の順序を尊重するとしても
この天之忍穗耳命以外、
天照大御神家系は紛れもなく、末子相続を貫いているのです。
命倶楽部(make love)は
とても大らかで自然の営みであったと思われる古代日本。
なぜなら、
末子相続の利点は最終のお二人同士が互いに確認できる?
愛の結晶。
その存在は目に入れても痛くない程可愛い末っ子。
晩婚化の今の世とは異なり、
早婚気味だったと思われる古代日本。
多分、長兄と父とは年の端が近く兄弟感覚となった筈。
又、天然に囲まれ過ぎ、治山治水(海)が覚束ない危険漂う世では
お二人の愛の結晶が先に他界するリスクを抱えていたのも事実。
従って、末子相続制はとても理に叶っていたのやも知れません。
今でも大半の日本人はお尻に青アザ(蒙古斑)で誕生します。
このモンゴロイド系の元祖、古代モンゴル遊牧民は末子相続が
風習だったと云われています。
又、ほんの最近まで近畿以南の漁民(綿津見の神の末裔)も
末子相続だったとも。
何やら奥深いものが潜んでいるやも知れませんこと。 続く。
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