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2013年1月13日 (日)

建沼河耳命が綏靖帝に 405

 当芸志美美命の陰謀回避の為、伊須気余理姫の息子の内、
 何故か長男坊は参加しません。
 果敢に対処したのは次男坊と三男坊。
 三男坊の神沼河耳命は一つ上の兄、神八井耳命に当芸志美美命
 の殺害を促します。
 次男坊の神八井耳命は 「兵(つわもの)=武器」 を携帯
 当芸志美美命の部屋に突入しますが事に及び怯(ひる)んだのか
 手足がワナワナ震え行為に及べません。
 その状況を見ていた三男坊の神沼河耳命は即座に兄の 「兵」 を
 取り上げ当芸志美美命の命(いのち)を奪います。
 故に神沼河耳命を
 「建(たけ=強い)沼河耳命」 と称すことになったのでは。
 多分この企画立案は
 三男坊でやんちゃと思える建沼河耳命なのでしょう。
 この展開から次男坊の神八井耳命は弟に 「帝位」 を譲ります。
 そして彼は 「忌人(いむひと)」 となり建沼河耳命をサポート。
 建沼河耳命(=綏靖帝)は治世を
 神八井耳命は神事を司(つかさど)るのです。
 只、長男坊は一体何をしていたのか気に掛かるのですが・・・・・。
 (三男坊(末っ子)の神沼河耳命が
 その長男坊、日子八井命は 「茨田連 手嶋連之祖」。
 河内国茨田(まむた)郡? 手嶋(てしま)地区は不明ですが
 それらの土地に住まう祖先と。
 次に次男坊、神八井耳命は
 「意富臣 小子部連 坂合部連 火君 大分君 阿蘇君 
  筑紫三家連 雀部臣 雀部造 小長谷造 都祁直 伊余國造
  科野國造 道奧石城國造 常道仲國造 長狹國造 伊勢船木直
  尾張丹羽臣 嶋田臣等之祖也」。
 彼の末裔は長兄に比して非常に多い18氏族等の祖先。
 意富臣(おおのおみ)・小子部連(ちいさこべのむらじ)
 と云われても何か地名とは思えません。
 坂合部連(さかいべのむらじ)も???
 火君(ひのきみ)は 「肥国」 を
 大分君(おおいたのきみ)は 「豊国」 を
 阿蘇君(あそのきみ)は 「阿蘇」 を
 筑紫三家連(つくしみやけのむらじ)は 「筑紫国」を
 雀部臣・造(さざきべのおみ・みやっこ)は???
 小長谷造(おはつせのみやっこ)は???
 都祁直(つげのあたい)は 「大和国都祁」 を
 伊余国造(いよのくにのみやっこ)は 「伊予国」 を
 科野国造(しなののくにのみやっこ)は 「信濃国」 を
 道奧石城国造(みちのくのいはき)は 「磐城国」 を
 常道仲国造(ひたちのなか)は 「常陸国」 を
 長狹国造(ながさ)は 「安房国長狹」 を
 伊勢船木直(いせのふなき)は 「伊勢国の何処か」 を
 尾張丹羽臣(おはりのにはのおみ)は 「尾張国の丹羽郡」 を
 嶋田臣(しまだのおみ)は 「尾張国の海部郡島田郷」 を
 を連想させますが、真相は藪の中・・・・・。
 もしこの連想が正解なら神八井耳命の末裔は
 北は磐城国(福島県)から南は肥国(長崎・佐賀・熊本県)迄の
 日本全国津津浦々に勢力が及んだ事になります。
 そして、何(いずれ)れにせよ最終的に三男坊の建沼河耳命は
 神倭伊波礼彦(神武帝)の後を継ぎ綏靖帝に相成るのです。
                            続く。

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