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2012年12月16日 (日)

神武帝の妻問婚=通い婚 402

 伊須氣余理姫は神倭伊波礼彦(神武帝)の仲人(大久米命)を
 介してのプロポーズを受託した事は先週紹介しました。
 その朗報を得た神倭伊波礼彦(神武帝)は早速
 彼女の許(もと)を訪れる事に。
 彼女の住まいは 「狹井河(さいがわ)之上」。
 又、
 わざわざ注釈でその狹井河=佐韋河の云われが述べられます。
 この河の辺(ほとり)には 「山由理(やまゆり)草」 が群生。
 山由理=山百合の 「本名」 は 「佐韋」 と云われていたので
 この河を 「さいがわ」 と命名したとの事。
 そんなこんなで次なる展開に。
 彼が彼女を家を訪(たず)ねる訳ですから 「妻問婚=通い婚」。
 この時代、大和地区在来の風習は妻問婚だった事実。
 「一宿御寢坐也」 との記述から後の平安時代と異なり一回の
 訪問で女男=夫婦(めおと)=婚姻関係が成立していたのです。
 (平安の世は三度通わないと不成立。)
 この後どの位の時間の経過があったかは知り得ませんが
 伊須氣余理姫が神倭伊波礼彦(神武帝)の宮に参内(さんだい)
 された際に彼は彼女に初めて見(まみ)えた思い出を歌で表現。

 阿斯波良能(あしはらの)
 志祁去岐袁夜邇(しけしきをやに)
 須賀多多美(すがたたみ)
 伊夜佐夜斯岐弖(いやさやしきて)
 和賀多布理泥斯(わがふたりねし)

 葦原の粗末な住まいの一室に
 菅の畳を敷き詰め愛を交わした事よ

 この歌って何て品のない云い方かしら
 まあ、それは置いておく事にしてお二人の愛の結晶は
 日子八井命(ひこやいのみこと)
 神八井耳命(かむやいみみのみこと)
 神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)
 の三人の男の皇子。
 この内三男坊の神沼河耳命が
 神武帝の後を継ぎ綏靖(すいぜい)帝になるのです。       続く。

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