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2012年12月 9日 (日)

大久米命の黥面= アイメーク 401

 伊須氣余理姫の大久米命への疑問、
 (大久米命の鋭い目に施された「黥(入れ墨=tattoo )」)。
 この問いに大久米命は 「多陀爾=直(ただ)に」(直接)
 伊須氣余理姫に会う為との返事。
 この答えでは(顔に施された入れ墨の件)
 彼女への回答になっていないのでは?
 仲人の大久米命が直接彼女に会い、神倭伊波礼彦(神武帝)の
 お気持ちを直接伝えた事で彼女の心が即、動いたとは・・・・・。
 この後、古事記の常套手段ですが 「時間の経過を端折り」
 伊須氣余理姫は神倭伊波礼彦(神武帝)に
 仕え奉る事 「白之仕奉也」 に相成ってしまうのです。
 しかし、ここではちょいとブレイク。
 大久米命の目の回りのタトゥー(tattoo )=黥について。
 このタトゥー(tattoo )、
 大久米命が目を際立たせる為のオシャレだったのか?
 それとも、彼にとってアイメークが日常だったのか?
 この点に関しても古事記原作者は全く触れていません。
 拙い知識では 「史記」 で項羽陣営の将軍の内、
 「黥布」 と云われた方が登場しています。
 彼の本名は 「英布」 で項羽に劣らぬ気性の激しい人であったと。
 関中陥落一番乗りを果たした劉邦が守る函谷関を攻め落とした
 将軍として有名。後に項羽とは離反する事に。
 彼が 「黥布将軍」 と命名された由縁は
 故有って連座制により罪に問われ 「黥の刑」 を受けた事から。
 躰の何処に黥=タトゥーを入れられたかは不明ですが
 「入れ墨」 は罪人である 「シンボル=象徴・符号」。
 又、時代が下り 「三国志」 の中の 「魏書」 である
 「魏志」の「東夷」の条、通称 「魏志倭人伝」 に
 男性の顔(「黥面」)と躰(「文身」)には黥=タトゥーが彫られ
 その文(紋=もん)により階層・位階が分かる 「記号」 の役目を
 果たしていたとの事。
 大久米命は決して罪人ではなく (神倭伊波礼彦組織に於いて)
 もし、常時目に入れ墨があった場合は
 ヒエラルヒー(独 Hierarchie)を現(あらわ)す 「記号」 に。
 人目を引きたいオシャレ心からのメーキャップではない事に。
 であるならば、大久米命は神倭伊波礼彦(神武帝)軍団の
 大将軍(戦闘隊長)を担っていたのですから
 神倭伊波礼彦(神武帝)も格上の 「黥面」 だったか、
 或いは、南九州時代に大久米命一族が
 神倭伊波礼彦(神武帝)組織の軍門に下ったかのどちらかに。
                                                                続く。

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