« 久米歌 早く食事をお願い 395 | トップページ | 大和在住美人、伊須気余理姫が登場 397 »

2012年11月 4日 (日)

物部氏の祖、邇藝速日命が登場 396

 神倭伊波礼彦(神武帝)軍団が大和を制圧した後に突如、
 邇藝速日命(にぎはやひのみこと)が神武帝の下に現れます。
 彼の云う事には神倭伊波礼彦を追ってきたとの事。
 又、豪華お土産を神武帝に献上し配下に。
 古事記では全く説明がありませんが神倭伊波礼彦(神武帝)も
 スンナリ彼を受け入れる顛末。
 更に、
 何故か一度は軍団を破った登美能那賀須泥彦(登美毘古軍団)、
 最終的には神武帝軍団に殲滅された感じですが、神武帝軍団は
 登美毘古の妻か愛(いと)しい方、
 登美毘古之妹(登美夜毘賣)を捕縛した模様。
 その彼女を何と邇藝速日命と結婚させる始末。
 登美夜姫は囚われの身で仕方が無いにしても
 邇藝速日命の意志は・・・・・?
 圧倒的に神倭伊波礼彦(神武帝)の命を
 聞かざる得ない立場だったのやも知れません事。
 そして、お二人にお子さんが生まれる次第。
 お名前は 「宇摩志麻遲命(うましまじのみこと)」。
 彼は物部連、穗積臣、女釆(女偏にノツ木)臣の祖と。
 物部氏の末裔は
 物部尾興・守屋(?~587)・石上麻呂(640~717)らが。
 「物部神社」の「御由緒に宇摩志麻遲命について記されています。
 古事記はこんな風に記した後
 紀伊・大和に先住していた荒夫琉神(あらぶる=荒振る神)等は
 神倭伊波礼彦(神武帝)軍団に
 屈服・平定・逃亡させられる状況に。
 そして、神倭伊波礼彦(神武帝)らは
 畝火之白檮原宮(うねびのかしはらのみや)を本拠地にして
 天下を治めたとなっています。
 はやり、何時の世も 「丁寧な議論と説明」 だけでは
 如何ともしがたい歴史過程なのではないのでしょうか?   続く。

|

« 久米歌 早く食事をお願い 395 | トップページ | 大和在住美人、伊須気余理姫が登場 397 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 久米歌 早く食事をお願い 395 | トップページ | 大和在住美人、伊須気余理姫が登場 397 »