物部氏の祖、邇藝速日命が登場 396
神倭伊波礼彦(神武帝)軍団が大和を制圧した後に突如、
邇藝速日命(にぎはやひのみこと)が神武帝の下に現れます。
彼の云う事には神倭伊波礼彦を追ってきたとの事。
又、豪華お土産を神武帝に献上し配下に。
古事記では全く説明がありませんが神倭伊波礼彦(神武帝)も
スンナリ彼を受け入れる顛末。
更に、
何故か一度は軍団を破った登美能那賀須泥彦(登美毘古軍団)、
最終的には神武帝軍団に殲滅された感じですが、神武帝軍団は
登美毘古の妻か愛(いと)しい方、
登美毘古之妹(登美夜毘賣)を捕縛した模様。
その彼女を何と邇藝速日命と結婚させる始末。
登美夜姫は囚われの身で仕方が無いにしても
邇藝速日命の意志は・・・・・?
圧倒的に神倭伊波礼彦(神武帝)の命を
聞かざる得ない立場だったのやも知れません事。
そして、お二人にお子さんが生まれる次第。
お名前は 「宇摩志麻遲命(うましまじのみこと)」。
彼は物部連、穗積臣、女釆(女偏にノツ木)臣の祖と。
物部氏の末裔は
物部尾興・守屋(?~587)・石上麻呂(640~717)らが。
「物部神社」の「御由緒に宇摩志麻遲命について記されています。
古事記はこんな風に記した後
紀伊・大和に先住していた荒夫琉神(あらぶる=荒振る神)等は
神倭伊波礼彦(神武帝)軍団に
屈服・平定・逃亡させられる状況に。
そして、神倭伊波礼彦(神武帝)らは
畝火之白檮原宮(うねびのかしはらのみや)を本拠地にして
天下を治めたとなっています。
はやり、何時の世も 「丁寧な議論と説明」 だけでは
如何ともしがたい歴史過程なのではないのでしょうか? 続く。
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