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2012年10月14日 (日)

神武帝大和騙し討ち制圧 393

 宇陀の地から更に進み、
 忍坂(おさか・おしさか)〈奈良県桜井市の古地名〉の大室に
 到着した際、
 生尾(山里暮らし人)の土雲(つちぐも)と云われる一族に遭遇。
 「八十建(やそたける)」 から大勢の強者(つわもの)。
 「八」 に関しては以前触れた 「八咫烏 八千矛神 八上姫」 で。
 この土雲一族、
 神倭伊波礼彦(神武帝)一行を待ち構えていたのか?
 みんなで徒党を組んでこの大室で侍っていたのです。
 只、彼らは神倭伊波礼彦(神武帝)に饗応された処から
 神武帝一行と端から闘う意志がなかった事に。
 神武帝らは頑強な土雲一族と
 ガチで闘ったら勝ち目がないと思ったのか
 姑息にも 「騙し討ち」 戦術を採用。
 しかし、変なのが土雲一族の挙動。
 神武帝側から飲食の振る舞いを受ける際、
 神武軍団兵士の
 腰に下がる 「佩刀」 に違和感を覚えなかった点。
 これってとても不自然では?
 翻って考えると
 土雲一族がこの状況をすんなり受け入れた事実を分析すると
 見知らぬ軍団にも、とても 「大らかでお人好し」 だった事に。
 彼らにとって楽しい食事中に刀を抜き戦闘行為に及ぶとは
 これっぽっちも思ってもみなかった思考文化。
 一方、
 「勝つ為なら何をやっても良い」 と云う思考回路を持ち合わす
 神倭伊波礼彦(神武帝)軍団は生尾(山里暮らし人)族の一族、
 土雲族を結果的に殲滅する事に。
 その殲滅作戦 (抜刀して切り倒す) GOの合図は 「歌」。
 この合図で
 八十建達一人一人に張り付いた似非接待担当(兵士)は
 いっせいに強者の土雲にいきなり斬りかかる段取り。
 不意をつかれたお人好し土雲らは敢え無く落命の運命。
 この 「お人好し」 DNA。
 この文化=心的現象、
 今現在を生きとし生きるわたくしたち日本人大半の方々が
 大なり小なり受け継いでいるのでは?                 続く。

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