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2012年10月 7日 (日)

神武帝ついに大和制圧 古事記原文 392

とうとう、神倭伊波礼彦(神武帝)一行は大和制圧。
畝火之白檮原宮(畝傍の橿原宮)で天下を治める事に。
そこの古事記原文です。

自其地幸行
到忍坂大室之時
生尾土雲 (訓云具毛)
八十建
在其室
待伊那流 (此三字以音)
故爾天神御子之命以
饗賜八十建
於是宛八十建設八十膳夫
毎人佩刀
誨其膳夫等曰
聞歌之者
一時共斬
故明將打其土雲之歌曰
意佐加能
意富牟廬夜爾
比登佐波爾
岐伊理袁理 
比登佐波爾 
伊理袁理登母 
美都美都斯 
久米能古賀
久夫都都伊 
伊斯都都伊母知 
宇知弖斯夜揺牟
美都美都斯 
久米能古良賀 
久夫都都伊 
伊斯都都伊母知 
伊麻宇多婆余良斯
如此歌而拔刀
一時打殺也
然後將撃登美毘古之時歌曰
美都美都斯 
久米能古良賀 
阿波布爾波 
賀美良比登母登 
曾泥賀母登 
曾泥米都那藝弖 
宇知弖志夜麻牟
又歌曰
美都美都斯 
久米能古良賀 
加岐母登爾  
宇惠志波士加美 
久知比比久 
和禮波和須禮士 
宇知弖斯夜麻牟
又歌日
加牟加是能 
伊勢能宇美能 
意斐志爾 
波比母登富呂布 
志多陀美能 
伊波比母登富理  
宇知弖志夜麻牟
又撃兄師木弟師木之時
御軍暫疲
爾歌曰
多多那米弖 
伊那佐能夜麻能 
許能麻用母 
伊由岐麻毛良比 
多多加閉婆 
和禮波夜惠奴 
志麻都登理
宇加比賀登母 
伊麻須氣爾許泥
故爾邇藝速日命
參赴
白於天神御子
聞天神御子天降坐故
追參降來
即獻天津瑞
以仕奉也
故邇藝速日命
娶登美毘古之妹
登美夜毘賣
生子                              
宇摩志麻遲命 (此者物部連 穗積臣 女采<女偏にノツ木>臣祖也)
故如此
言向平和荒夫琉神等 (夫琉二字以音)
退撥不伏人等而
坐畝火之白檮原宮
治天下也

 次週に読み解きます。
                            続く。

 web上では
 国立国会図書館 電子図書館蔵書の古事記中下巻P08の12行目
 で確認可能ですので是非ご覧下さい。

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