到吉野河之河尻 お尻に火が 388
大変お待たせを致しました。
それでは、
このサポーターとして遣わされた黒装束の忍び者(八咫烏)は
高木神の命に依るもの。
以前、神倭伊波礼彦(神武帝)軍団が熊野村の上陸した際にも
高木神の差配により彼らの窮地を脱しています。
更に、彼は高天原から出雲制圧部隊の選定にも関わっています。
そちらは 「建御雷之男神、古事記原文 337」 で。
又、ここで語られている様に高木神=高御産巣日神。
この高御産巣日神は古事記に登場する最初の三柱神のお一人。
その三柱神は 「日本と日本の神々 誕生 224」 で。
故に天照大御神と並び、
高木神=高御産巣日神は最重要な神様に。
そして彼の神倭伊波礼彦(神武帝)へのメッセージは
「神武帝(天神御子)よ、今おる所から奥に入るな。
その奥には沢山の荒くれ者(荒神)がおるんじゃ。
今、私が黒装束の忍び者(八咫烏)を遣わすので
奴の案内通り、付いて行くんじゃ。」 と。
高木神=高御産巣日神の仰せの通りにすると
やがて、吉野川=紀の川の下流(河尻)に到着。
その時、筌(うえ)を使って川魚を取っているお方が。
(筌=細割竹を筒状に編み、
侵入した魚がそこから出られない様に細工した道具)
その地元の方に名を尋ねると 「贄持之子(にえもつのこ)」 とか。
ここで問題が生じます。
梅原猛さんは本居宣長に則り 「到吉野河之河尻」 を
「吉野川の上流に至った。」 とされています。
(「神々の流竄 梅原猛著作集8 集英社 p434」)
古事記字面通りとすると現在の和歌山市地区に。
この地区とすると確かに以前通過の進軍ルートへ逆戻り。
ほんに、帳尻が合いません。
古事記研究者の皆様早くお尻を据えてお尻をお上げ下さい。
ここは一つ目を瞑り・お尻を軽くし、梅原猛さんサイドで。
この好い加減さにお許しを。
そして贄持之子は、
古事記執筆当時、阿陀(現在の奈良県五條市東部)に
住まう 「鵜養(鵜匠)の祖」先と注釈せれています。
確かに奈良県五條市は吉野川=紀の川の上流。
そして、神倭伊波礼彦(神武帝)軍団は
紀伊国から大和国へ侵入した事になるのです。
ここに 「阿陀比売神社」 なるものが存在しています。
残念な事ですがこちらのH.P.はありません。
この神社の祭神が、なな何と
阿陀(あた)比売=神阿多都比賣=木花之佐久夜姫なのです。
彼女は神倭伊波礼彦(神武帝)の曾お婆さん。
どうしてこの地区に神倭伊波礼彦と木花之佐久夜姫との接点が?
古事記研究者のお尻に火をつけたい気持ちです。 続く。
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