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2012年9月16日 (日)

生尾人(山里人) 井氷鹿と石押分之子 389

 更に、神倭伊波礼彦(神武帝)一行は黒装束の忍び者(八咫烏)
 に従い、吉野川沿いに進軍。
 途中、井戸から這い上がって来る異様な風体のお方を発見。
 異様な風体と記しましたがそれは 「生尾人」 の記述から。
  この 「生尾人」 にも困ってしまいます。
 お尻に尾が生えている人何ておられる訳がないですか。
 頭に角が生えているのはお上さんですが
 これは後ろめたい事をやってしまった後の旦那が原因で
 実際は尖った角なんて有る訳が無し。
 ここでの古事記はメンタル面を記述しているのではなく
 現象、彼の風体ですから
 何か尾に見えるものを纏っていたのでは?
 それとも、
 彼の時代 「生尾人」 との表記で誰しも分かるお方だったやも。
 しかし、あの梅原猛さんでさえ 「尻尾のある人」 とされています。
 この箇所は異議申し立てを。
 又、その井戸の底には光り物があったとの事。
 彼はその光り物を採掘していたのでは?
 そして、彼の名は 「井氷鹿(いひか)」 と。
 因みに奈良県吉野郡川上村観光協会に 「井氷鹿の里」 が。
  「川上村マップ」 では 「井光神社」 なるものも。
 井氷鹿は吉野の首(おびと)らの祖先に当たるんですって。
 彼の事はここ迄にして、
 更に一行が吉野山に歩を向けるとまたもや、「生尾人」 が出現。
 そのお方は何と岩を押し分けお出ましとか。
 彼の名は 「石押分之子(いわおしわくのこ)」。
 何やら彼は神倭伊波礼彦(神武帝)一行の吉野山入山情報を
 得ていたらしくわざわざ巌(いわお)の中を下り
 一行をお迎えに参上したとの事。
 彼は吉野国巣(国栖)に住まう祖先に当たるお方に。
 この吉野山に住まう彼は一体誰から
 神倭伊波礼彦(神武帝)情報を得たのでしょう?
 彼からしたら山で作業中、
 風体が異なる一軍が山に上がって来る事が見渡せたのでは。
 「生尾人」 の 「井氷鹿」 と 「石押分之子」 のお二人。
 同じく吉野在住、先週紹介した 「贄持之子」。
 この両者の違いは
 吉野山里で暮らす方と吉野川沿い暮らし と
 採掘生活と漁師。
 従って、「生尾人」 とは山里暮らしの方々では?
 山里では熊・猪等が出没する筈。
 故に、彼らの出で立ちは
 それらを威嚇する、或いは、出会いを避けるものを
 腰から下げていたのではないかと・・・・・。                    続く。

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